故宅で儒教の精神に触れ、市場で田舎の人情に出会う 慶尚南道
故宅で儒教の精神に触れ
市場で田舎の人情に出会う
慶尚南道、河東・山清・咸陽・陜川
慶尚南道を訪ねたことはあるだろうか。海の絶景が楽しめる統営や南海、桜が咲き乱れる軍港祭で知られる昌原など、人気の観光地は多い。しかし、海に近い観光地はよく知られているものの、慶尚南道の山地についてはあまりよく知られていない。アクセスの不便さがその原因だろうが、それを言い訳にしてしまうにはあまりにも惜しい名所が隠れている。そんな慶尚南道の内陸の観光地の中から厳選した四つの町、河東(ハドン)、山清(サンチョン)、咸陽(ハミャン)、陜川(ハプチョン)を訪ね、山の中に隠された宝石のような名所を掘り出してみた。
文/町野山宏記者
慶尚南道の旅で最初に訪ねたのは河東郡。慶尚南道の西端で、蟾津江(ソムジンガン)をへだてて全羅南道に接している。河東インターで高速を降りて北上すると、道の左側には蟾津江の流れが見渡せる。道路脇には桜の木が果てしなく続いており、春になったらどれほどきれいだろうかと思わされる。十里桜道と呼ばれる並木道だ。
その並木道を数十分走ると、蟾津江を渡る大きな橋が見えてくる。この橋の袂には、韓国人ならば誰でも知っている花開(ファゲ)市場(普通はジャントといい、市場を意味する)がある。歌手チョ・ヨンナムが歌って大ヒットした「花開ジャント」という歌を聞いたことがある人もいるだろう。「慶尚道・全羅道の花開ジャント」という歌詞のように、慶尚道と全羅道の各地から人が集まる韓国最大級の市だった。韓国では慶尚道と全羅道は仲が悪いという印象があるが、この花開市場は地域感情を越えて仲良くなる、人情が花開く市場なのだ。2014年に火災に見舞われ、大きな被害を出したが、翌年には営業を再開し、今も180あまりの店舗が活気ある姿を見せている。
昔はこのあたり一帯が市場になっていたが、現在ではエリアを区切って伝統家屋風の建物を建てて市場を運営している。わらぶき屋根と瓦屋根を模した建物で、観光地のお土産屋コーナーといった印象は受けるが、販売しているものは興味深いものばかりだ。その中でも一番目を引くのは、薬草をはじめとする薬になる食材の店。店頭には包装された薬草がびっしりと並び、一つひとつの名前と効能が書いてある。数百年前から伝わる韓方の療法が今でも使われているのが分かる。もの珍しげに見ていると、店のおばさんが「どうぞ、味見をしてみて」と、紙コップで温かい薬草茶を差し出した。「何のお茶ですか?」と訊いても知らない薬草の名前が帰ってきたが、健康になりそうな香りだった。そして他の店に行って驚いたのは、大きなハチの巣が、ぶんぶんと飛び回るハチと一緒に網に入れられて店先につるされていたこと。ハチとハチの巣はお酒につけて精力剤にするのだという。この他にも山で採れた高麗人参など、珍しいものばかりだった。
市場にはおいしそうな食堂も並んでいる。全羅道と慶尚道をまたぐいろいろな料理がある中で、やはり河東の名物をということで、シジミ汁を選んだ。シンプルな味つけのスープに蟾津江のきれいな水で育ったシジミが深みを与え、素朴ながらも侮れない味だ。ここにトトリムクやワカサギの天ぷら、河東名物のお茶の葉の天ぷらまで加わって、どんな韓定食にも劣らない豪華な一食となった。
市場の人情に後ろ髪を引かれながら、次は崔参判宅(チェチャムパンデク)を訪ねる。ここは韓国のベストセラーの長編小説「土地」の舞台となったところで、ドラマ化された時のセットを残したもの。女流作家の朴景利(パク・キョンニ)が1969年から執筆を始め、26年の歳月をかけて完結した長編小説「土地」は、1897年から1945年の光複までの時代を韓国だけでなく日本、中国、ロシアまでを舞台に描いた大抒情詩だ。
「土地」の主人公であるソヒとキルサンが幼いころに住んでいたのが「崔参判宅」という故宅で、ドラマのために崔参判宅とその周りの村を2002年に完成させた。ドラマのセットだからといって、安っぽい作りではない。普通の韓屋を建てるのと同じ材料と方式で建てられている立派な邸宅だ。
村に入る坂を登っていくと、その中腹に崔参判宅が現れる。長い行廊(ヘンナン)チェ(家の塀を兼ねた使用人のための建物)の前には広場があり、大きな木が立っていてとても絵になる。広場からは下に広がる河東の穀倉地帯が見渡せる。門から中に入って、女性たちが起居するアンチェと別堂、男性たちが起居するサランチェなどを見学していくと、よくつくられていると感じる。別堂では韓服を着た女性が韓国の茶道を体験させてくれ、サランチェでは両班の服装をしたおじいさんが書道の実演をしていた。「土地」の舞台になった時代にもいただろうおじいさんに会ったような気分だ。サランチェの楼マルからは眼下に広がる平野が見渡せ、「夫婦松」と呼ばれる田んぼの中に浮かんだ島のような二本松も見える。
崔参判宅の向かいには朴景利文学館があり、「土地」に関する展示や作家の遺品、写真などが展示されている。作家の意思を尊重して控えめにつくった朴作家の銅像も、作家の人柄を表すようで馴染み深く感じさせる。「土地」は5部16巻で完結しており、日本語版は現在、2巻まで翻訳されている。近いうちに日本語版も全巻翻訳される予定とのこと。ぜひ読んでみたい。
韓国で最も美しい村南沙イェダム村
河東郡の次に訪れたのは山清郡。その名の通り、山に囲まれた清浄な土地といった雰囲気だ。山清で有名なのは、「韓国で最も美しい村」と称される「南沙(ナムサ)イェダム村」。名門の韓屋と趣のある塀が続く閑静な村だ。「イェダム」という言葉は「古い塀」を意味する韓国語。数百年間、多くの科挙及第者を輩出してきた村として安東の河回マウルと比肩される。安東などが一つの家門が集まっている集姓村であるのに対し、ここではいくつかの家門が集まって大きな村をなしている。
迷路のようにくねくねと続く道の両側には、石と土で造られた塀が立っており、その向こうには立派な瓦屋根が見える。新しく建てている韓屋もあり、昔からの生活が今も同じように続けられているということが分かる。
その中でも名家と呼ばれる家があり、まず延日鄭氏の家屋である「泗陽精舎(サヤンジョンサ)」を訪ねた。馬に乗ったまま通れるという立派な門をくぐると、立派なサランチェが堂々と構えている。泗陽精舎と書かれた大きな扁額が掲げられ、手前の8本の柱は一本のケヤキの木からとったものだという。夏には涼しく眺めがよいため、風流を楽しむ楼マルが両側にあるのも特徴だ。泗陽精舎の門の前には韓国で最も古いといわれている樹齢600年の柿の木があり、今でも実をつけている。
崔氏故宅も、儒教的伝統を受け継いだ家の様子をよく示している。男性たちのためのサランチェとその裏にある女性たちのためのアンチェの間は塀によって隔たっており、「男女有別」の思想を表している。昔からの生活様式を示すさまざまな道具が今も使われており、現在、ここで住んでいるご夫婦の現代的な生活の道具も、昔のものと調和して見えるのが不思議だ。崔氏故宅をはじめ、南沙イエダム村の多くの故宅では宿泊ができるようになっている。ホテルなどとは違って不便ではあるが、文化財の家屋で宿泊し、村人たちの人情を感じる体験は、他のものと替えることができない貴重なものとなるだろう。
もう一つの名家である李氏故宅へ入る小道には、2本のエンジュの木が2頭の龍のようにお互いに交差しながら天に向かって伸びている。この2本の木の下を夫婦一緒に通ると仲良く添い遂げることができるといわれている。南沙イェダム村の地形自体も2頭の龍が向かい合って円を描く、風水の明堂、いわゆるパワースポットなのだ。李氏故宅も意義深い話が伝わっている。李氏の家門はこの地域では知られたお金持ちだったが、家の前を通る客人をよくもてなし、貧しい人たちにも分け与えていたという。慶州の「崔富者」という韓国でよく知られたお金持ちも、この家を訪ねてその秘訣を学んでお金持ちになったという。「韓国でノブレス・オブリージュ(持てる者の義務)を実践した始祖だといえます」と、ソン・スニョン解説士は語った。
南沙イエダム村と並んで山清郡で人気なのが、「東医宝鑑村(トンイボガムチョン)」だ。ドラマで有名になった朝鮮時代最高の名医・許浚(ホジュン)が著した医学書「東医宝鑑」からその名をとっている。2013年に開かれた「山清世界伝統医薬エキスポ」の会場となったところで、その施設を展示や体験のためのテーマパークとして利用しているのだ。
広い敷地内には、韓方医学について詳しく学べる展示から、韓方医療の簡単な体験までできるようになっている。それではなぜわざわざこんな山の中につくったのだろうか。その答えは智異山(チリサン)にある。朝鮮半島を貫く山並みを「白頭大幹」というが、白頭山からその山並みに沿って降りてきた「気」は、白頭大幹の終わりにあたる智異山に集まる。そのため、智異山の山すそにある山清は韓国全土のよい「気」が集まっているところというわけだ。
東医宝鑑村全体がそのようなよい「気」に満ちた場所だといえるが、その中でも特に気が強い場所がある。「石鏡(ソッキョン)」、「亀鑑石(クィガムソク)」、「福石鼎(ポクショクチョン)」と呼ばれる三つの石があり、その前で気を受けると体がよくなり、祈れば叶うとされているのだ。「オーリングテストをして試してみましょう」という解説士のいう通りに指でリングをつくってみた。他の場所ではリングはすぐに解けてしまうが、石の前ではリングは解けなかった。実際にこの場で祈って昇進したという有名人もいるという話だ。亀鑑石の前にある「気体験場」では瞑想ができる空間や、温熱マットで体を温める治療器の体験場などがあり、ぜひ体験しておきたい。
わざわざ東医宝鑑村を訪ねたのだから、本格的な韓方治療を受けたいという人には、東医宝鑑村の中にある「東医本家(トンイボンガ)」を訪ねることをお勧めしたい。ソウルで韓医院を運営していた韓医師のキム・ジョングォンさんは、東医宝鑑村にほれこんでここで韓医院を始めた。全国でも名の知られた韓医師で、わざわざこの医師を訪ねてここまで通う人も少なくないという。日本人を治療してきた経験も豊富なため、安心できる。また、団体で訪れても治療のほか、韓方に関連した多彩なプログラムを体験できるような準備がされている。
東医宝鑑村に数日に渡って滞在する人たちのための宿泊施設も充実している。「東医本家」が運営する韓屋ステイのほか、「山清韓方家族ホテル」も最近オープンした。充実した施設で安心して宿泊できるのは、韓国の地方旅では嬉しい知らせだといえよう。
智異山で育ち、よい気をたっぷり受けた食材を使った料理が味わえるのも東医宝鑑村の魅力の一つだ。お勧めしたいのは「薬草とキノコの村」という食堂の「薬草とキノコしゃぶしゃぶ」。体によい薬草とキノコをたっぷり入れたしゃぶしゃぶは、他では味わえない味と香りが自慢だ。もう一つ、「東医薬草館」の薬膳コース料理もお勧めだ。食材自体が薬となり、食べるだけで健康になる韓式コース料理は、高い価格が惜しくないメニューだ。
儒学者の息遣いが聞こえる、一蠹古宅
「左の安東、右の咸陽」という言葉がある。咸陽は安東と並ぶ「ソンビの故郷」なのだ。儒教の徳目を体得した儒学者を「ソンビ」といい、彼らは韓国で多くの尊敬を受けてきた。そんなソンビの息遣いが今も聞こえるようなところが、咸陽の介坪(ケピョン)村だ。介坪韓屋村とも呼ばれ、昔ながらの韓屋が集まって、今もそこで住民が生活を営んでいる。
介坪村で最もよく知られているのが、鄭汝昌(チョン・ヨチャン)のために建てられた一蠹(イルドゥ)故宅だ。一蠹・鄭汝昌は、朝鮮時代の「五賢」の一人で、地位を得るための学問ではなく、実践のための学問を主張し、「知行一致」を自ら行った儒学者だ。この故宅の名称ともなっている「一蠹」という号は、「一匹の虫」という意味で、謙譲の意味からつけた号だといわれている。
一蠹古宅の前にある一蠹広報館で鄭汝昌の生涯や思想について話を聞いた後、一蠹故宅に向かう。石畳の道の両側には石積みの塀が立っており、韓屋村らしい雰囲気をかもし出している。角を曲がった正面に立派な門が立っていた。瓦屋根の門の中には赤く塗られた門が目に入る。門の上には漢文が書かれた板が5枚掲げられており、これはこの家門から出た孝子と忠臣に対して国から与えられたもの。「家門から一人出ただけでもすばらしいことなのに、5人も出たわけですから、どれだけ立派な家門であったかが分かります」と、案内してくれた解説士の李春喆さんは語る。
門をくぐると右側に一蠹古宅のサランチェがその威容を見せている。L字型になっており、短辺のほうは「楼マル」と呼ばれる高床式の部屋になっている。石を重ねた基壇もそうとう高いのに、他の部屋よりさらに高くなっている楼マルはどれだけ見晴らしがよいだろうか。それだけでなく、楼マルの前には、岩山の上に立派な松の木が立っている。この景色を眺められるならば、他に行く必要はないだろうと思えるほどだ。このような古宅を独り占めしてみたい人には、少し値は張るが宿泊することをお勧めする。一つの建物全体を借り切って宿泊することができるため、ソンビの生活を味わってみよう。
サランチェの裏には女性たちが起居するアンチェがある。サランチェが接客と風流を楽しむための空間であるのに対し、アンチェは生活のための空間らしく、実用的な造りとなっている。ある意味、おばあちゃんの家に来たような気楽な雰囲気だ。この日も縁側に座って楽しげに談笑する人たちがいた。
サランチェの隣、昔、使用人たちが使っていた建物は「古宅の香り」という小さなカフェになっている。五味子茶やごぼう茶、梅茶などの伝統茶が飲めるだけでなく、鄭汝昌の18代子孫がつくる惣菜を販売している。いわゆる「宗家」の味が伝わっており、自分の畑で育てた安心して食べられる野菜を使ってつくっているため、お土産にも最適だ。
一蠹古宅を訪ねながらも、実は門をくぐる前、故宅の向かいにある店が気になっていた。同じく韓屋で立派な門構えになっており、「ソルソンジュ文化館」と書かれた素朴な看板が目に入る。ここは韓国農林畜産食品部が指定した「韓国食品名人」の一人、パク・ホンソンさんがつくる伝統酒「ソルソンジュ」の広報館だ。ソルソンジュを実際に試飲して購入もできるということで、試飲させてもらった。松の芽と松の葉を入れて発酵させており、口に含むとふわりと松の香りが広がる。13度のソルソンジュのほか、40度の蒸留酒もあり、こちらも人気だという。
ソルソンジュ文化館の裏にはパク・ホンソン名人が住む家があり、この家屋も300年の歴史を持つものだという。このような歴史の中でおいしい伝統酒が熟成していくのだと感じさせられる。
近代の映画はここで撮影、陜川映像テーマパーク
咸陽を発ち、最後に向かったのが陜川。陜川といえば、ユネスコ世界遺産に登録された高麗八萬大蔵経を有する海印寺(ヘインサ)があることで有名だ。その陜川で数年前から人気観光地となっているのが、陜川映像テーマパークだ。陜川ダムの建設によってつくられた陜川湖を眺めながら黄江(ファンガン)の流れに沿って走ると現れるのがこのテーマパーク。訪れたのが週末だったため、多くの家族連れでにぎわっていた。
韓国の各地にドラマや映画のためのセットがつくられているが、陜川映像テーマパークの特徴は、近代、すなわち朝鮮末期から日本統治時代、そして朝鮮戦争当時を舞台にしていることだ。近代を背景にしたドラマや映画のほとんどはここで撮影されるといっても過言ではない。入口にはこれまでここで撮影されたドラマと映画のリストが掲げられているが、名の知れた作品がずらりと並ぶ。最近の作品では、2016年度に大きく話題となった「徳恵翁主(トッケオンジュ)」や「仁川上陸作戦」もここで撮影されたらしく、大きなポスターが掲げられていた。
さあ、いよいよ100年前の世界へのタイムトラベルが始まる。出発点は佳湖(カホ)駅と名づけられた、汽車の駅をモチーフにしたチケットブースだ。佳湖駅をくぐると、そこは近代の、「京城」と呼ばれていた時代のソウルだ。モダンな建築物のゲートの向こうには京城の町が見える。路面電車が停まっており、時代を感じさせるビルには日本語で書かれたレトロな看板がかかっている。やはりドラマに使われるだけあって、外観だけ見ればそうとうリアルに再現されている。白い韓服に身を包んだ少女や、ステッキをついた紳士が歩いていても不思議ではない。劇場の中からは毛皮のマフラーをしたモダンガールが今にも出てくるのではないかと思うほどだ。
京城に上京してきたばかりの田舎者のようにきょろきょろしながら歩いていると、見慣れた建物がちらほら見える。ソウル駅やソウル市庁、韓国銀行から始まって、韓国臨時政府の建物となった京橋荘、李承晩大統領の私邸であった梨花荘など、ソウルに今でも残る建物が再現されている。今は取り壊された朝鮮総督府やソウル中央郵便局などの建物もある。また、戦場を表現したセットも圧巻だ。真っ黒に焼けた廃墟が再現されており、映画「ブラザーフッド」をはじめとする戦争映画はここで撮ったのだと推測できる。
このテーマパークにある建物は、すべて実際の大きさの70%スケールで再現されている。これは、実物大の建物である場合、撮影すると一部しか入らないのに対し、小さいスケールでつくると画面にうまく入って雰囲気がよく出るからとのこと。それは写真でも同じことがいえる。写真を撮るにおいてもちょうどいいスケールで収まってくれるというわけだ。映画の主人公になりきって写真を撮っても楽しいだろう。
せっかく写真を撮るのであれば、衣装までこだわりたい、そういう人のために、衣装の貸し出しサービスも行っている。「7080校服体験」と銘打って、昔の学生服をレンタルするサービスだ。学生服やドラマ「応答せよ」シリーズで出てきたようなレトロな服を着て、テーマパーク内を散歩できるのだ。とても人気のあるサービスで、決して若くない人たちも学生服に着替えて思い思いのポーズをとっているため、恥ずかしがることもないだろう。
テーマパークを歩いていると、ところどころに手入れされていない部分も見える。これはそれぞれの作品に合せてセットを少しずつ修正を加えているためだという。新しい作品がここで撮影されるたびに変化しており、それもこのテーマパークを楽しむポイントの一つだといえる。
2016年12月に映画「パンドラ」が公開されて話題になったが、この映画が撮影されたセットも話題を呼んでいる。映像テーマパークの隣にある青瓦台(チョンワデ)のセットだ。やはり実物の70%の大きさにつくられたものだが、このほかのセットとは違い、建物の造りもしっかりしている。本物の青瓦台からの申し出によって完全に同じ形につくることはできなかったというが、大統領の執務室から記者会見のための部屋など、ニュースなどで見たほとんどそのままの姿が再現されている。これから多くの作品がここで撮影されるだろう。
早足で駆け抜けた慶尚南道の旅だったが、許されるならば、どこも時間を忘れてゆったりとくつろぎたくなる空間ばかりだ。追われるようにして生きている日常を抜け出して、昔のソンビたちのような余裕を楽しんではいかがだろうか。そんな旅には慶尚南道は最適な場所だといえよう。
Information
慶尚南道の各地域へは金海国際空港から高速バスを利用するのが便利だ。金海国際空港から地下鉄で釜山西部市外バスターミナルへ移動し、河東、山清、咸陽、陜川、それぞれの市外バスターミナルまで高速バスが運行している。所要時間は2~3時間程度。ターミナルから各観光地へはバスを利用することもできるが、本数が少ないため、タクシーを利用するのが便利だ。
河東郡:http://tourjpn.hadong.go.kr/
山清郡:http://www.sancheong.go.kr/tour
咸陽郡:http://www.hygn.go.kr/japanese.web
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