百済時代へのタイムトリップを楽しむ旅「忠清南道」

2015年02月17日
公山城

公山城

華麗なる文化の香りが漂う古都

百済時代へのタイムトリップを楽しむ旅「忠清南道」

 

韓国・三国時代の一国として、古代より日本と関係の深かった百済。そんな百済文化の1番地として名前が上がるのが忠清南道にある公州(コンジュ)と扶余(プヨ)だ。錦江に沿って隣接している二つの都市は、それぞれ百済中期の熊津時代と末期泗沘時代を代表する古都。700年に及ぶ百済の大歴史が幕を閉じた地であるだけに、扶余のあちこちには、有名な百済遺跡がたくさん残されている。また、公州では、絶景の錦江を前に壁を築き上げた公山城や、武寧王の墓である武寧王陵など、絢爛たる百済時代のファンタジーが感じられる。そんな百済文化を探検しようと、たくさんの学生たちが訪れる学習旅行地として人気が高い。はじめてなのになぜか懐かしい風景が広がる「百済の街」を歩いてみよう。
文/李相直記者

愛する人のために作られた韓国初の人工池「宮南池」

扶余の旅は、百済王室の話が散在している扶蘇山城から始めるのが順序だといえる。扶蘇山は扶余邑の中央に位置する海抜106mほどの小高い丘陵だ。尾根に沿って土と砂利を積んでつくった扶蘇山城が続き、落花岩、皐蘭寺など、扶余の代表スポットが並び、扶余にある百済の足跡をたどるにぴったりな場所だからだ。
扶余の鎭山と呼ばれる扶蘇山は、百済の最後の王朝が住んでいた王宮や寺院があった所で、扶蘇山を囲んでいる百済の都城である扶蘇山城が続く。三国史記の百済本記に泗沘城、または所夫里城と記録されている扶蘇山城は、百済聖王16年である538年に熊津(現在の公州)の泗沘(今の扶余)に都を移してつくられた所だ。ここを訪れるには、扶余市内から扶蘇山城の正門を通って城壁を見て回ることもできるが 黄布帆船遊覧船に乗って白馬江をさかのぼり、後門を通って皐蘭寺を訪ねるコースが人気が高い。悠々と流れる白馬江や丘の上にある落花岩など、徒歩では出会えない白馬江からの眺めは格別なためだ。
また、扶余を訪ねたら外すことができない所が宮南池(クンナムチ)だ。宮南池では、薯童と善花姫の愛の物語が伝えられている。百済の王子である薯童の青年時代、隣接する新羅の真平王の三女である善花(ソナ)姫が美しいという噂を聞いて慕っていた末に、新羅へと旅立つ。新羅の都の子供たちに、自分が作った「薯童謠」という歌を教えて歌わせるが、その内容は、善花姫が毎夜こっそりと薯童の部屋を訪ねるというものだった。この歌が新羅の都城の中まで広がると、眞平王は王室に恥をかかせたという理由で、善花姫を流刑に処すが、薯童はその道で待ち伏せし、一緒に百済へと戻った。彼は百済の武王となって善花は王妃になったという物語だ。後に武王となった薯童は宮南池の敷地に離宮を建て、水を引き込んで風流を楽しみながら、故郷である新羅を離れた善花姫の郷愁を慰めたと伝えられている。
この宮南池は韓国で最も古い人工池としても有名だ。池の趣もよいが、宮南池は夏にすくすく育った蓮の花を鑑賞するには最適な場所だ。韓国随一の蓮の名所とされ夏の宮南池の巨大な池がピンクの蓮の花でいっぱいになり、その姿は壮観だ。

宮南池

宮南池

百済王国の最期を目撃した「定林寺址五層石塔」

百済の痕跡を探す旅にふさわしい場所として、扶余市の中心部にある定林寺(チョンニムサ)があげられる。定林寺址は、王宮があった扶蘇山の真南にある宮南池との中間地点にある。扶余市の中心部にあるが、現在は寺院の址と石塔だけが寂しく残っている。
西暦660年7月18日、百済が滅亡したその日、定林寺も百済と共に消え去った。百済は戦争で敗北し、定林寺も1週間もの間、黒煙を吐きながら燃えたという。そして、火に燃えない五層石塔1つだけが残った。定林寺五層石塔は、一般の人が見ても安定感があり、たおやかで美しい。しかし、石塔は滅亡して燃える百済の最期を寂しく、悲しげに目撃したのは間違いない。華やかでも巨大でもないが、不思議な美しさに、石塔を眺めてしばらくたたずんでしまう。
百済当時の定林寺の威容を見たい人は、定林寺の前にある定林寺址博物館を訪ねてみよう。中でも12分の1スケール寺の復元模型が見ものだ。五層石塔が中央にそびえ、今は見られない金堂と講堂の建物が一直線に壮大に建っており、消え去った百済の遺産を記憶することができる。

歴史を知ってより鮮明となる百済の古都の魅力

韓国の歴史において強烈な印象を残した百済時代を訪ねる旅行であるからには当然、百済時代の歴史くらいは知っておきたい。百済は大きく三つの時期に分けられる。BC18年に漢城に都を定めて国を建国し、繁栄した百済時期が第1期百済だ。この時期は、BC18年から西暦475年の文周王までの500年近くにわたる。蓋鹵王が高句麗との戦に敗れて戦死した後、文周王は即位してまもなく熊津(現在の公州)に首都を移す。この時期は、熊津百済時代と呼ばれ、475年文周王から538年の聖王まで63年間続く。最後に、聖王16年(538)、現在の扶余である泗沘に遷都する泗沘百済時代が開かれ、百済時代は3幕の歴史を残した。
公州は漢城に次ぐ2番目の百済の王都である。3幕の百済時代の中で王都となった時間は最も短いが、公州には絢爛たる百済の香りを盛り込んだ名所が並んでいるため、百済旅行において必見の場所だ。
その代表格は何と言っても、公山城(コンサンソン)だ。公州に入ると、遠くに悠々と流れる錦江(クムガン)の上にくねくねとした尾根に沿って建設された公山城が目に入ってくるが、稜線と渓谷に沿って建てられた「包谷形」の公山城は、百済時代の王都であった公州を守るために構築された城である。
文周王1年(475)に都を移し、 武寧王の息子である聖王16年(538)に扶余に都を移すまで、公山城は5代の64年間、百済の首都の防衛要塞であった。百済当時の名前は公州の昔の名前を取って熊津城と呼ばれたが、百済滅亡後の高麗時代に今の公山城と名称が変えられた。

百済王家の無言の息遣い、宋山里古墳群

百済の古い城郭に酔う暇もない。熊津百済時代の王が眠る王陵である宋山里(ソンサンリ)古墳群が、公山城からそれほど遠くないところに位置するためだ。古墳群は、公州に都を移した475年から538年までの64年間在位した5代の百済王と王族の墓だ。東に秀麗な公山城が見渡せ、古墳群の中にはレンガの墓2基と割石で作られた石室墓5基があるが、そのうちの武寧王の墓である武寧王陵が断然見どころとして挙げられる。
武寧王陵の威容は、古墳群の入口にある模型館で見ることができる。入口は武寧王陵を模した蓮の花模様のレンガで装飾され、薄暗い照明が神秘的な雰囲気をかもし出しているが、実際の王陵の内部を完全に再現した空間が内部にある。
再現された墓は3基。保存のために出入りが制限されている横穴式石室墳である5号墳と横穴式塼築墳である6号墳、武寧王と王妃の墓である武寧王陵が一対一のサイズで再現されているが、実際の古墳を完璧な考証を通じて再現しており、実際の王の墓を見学する贅沢が味わえる。
加えて発掘当時の様子や百済時代の墓様式についての理解を助ける資料が大量に展示されており、武寧王陵の出土時に発掘された華麗な遺物も展示されて、華やかなりし百済の遺産に思わず感嘆の声がもれる。特に王冠の装飾の一種である金製冠飾(国宝154号)と1500年前の王と王妃が着ていた衣服など、百済時代を扱った歴史ドラマで見たアイテムが満載のため、百済の文化を耽美したい人にとってはこれ以上の場所はない。

武寧王石獣

武寧王石獣

宋山里古墳群から出土した遺物の多くは、古墳群から徒歩で10分の距離である国立公州博物館で、より多彩に見ることができる。1975年にオープンし、2004年に新築移転して見所がより豊かになって、武寧王陵室、忠南遺物室、特別展示室、屋外展示室の4つの展示館に国宝19点と宝物4点などを含む、燦爛たる百済歴史を語る遺物が展示されている。

韓屋村で百済の夜を満喫

韓国人の情緒と生活がそのままにじみ出ている韓屋は、韓国を訪れる旅行者なら一度は夢見たテーマだろう。一般的に韓屋村といえば全州が挙げられるが、百済の都・公州にも伝統美と現代的な利便性を兼ね備えた韓屋村があり、百済の都である公州での一夜を過ごしたいと願う人にはもってこいだ。
公州市 が直接運営している公州韓屋村は、公州の観光地が集まっている武寧王陵と国立公州博物館に隣接しており、公山城も近いため、一晩滞在して旅行の醍醐味を満喫するのにぴったりだ。やさしい住宅であるという点と、伝統的な暖房方式である「クドル」を利用してオンドルで暖房をするのが特徴だ。薪はクヌギの薪を使用する。夕方になるとわらぶきの家や、瓦の家の煙突から煙が上る光景は、ソウルなどのありふれた韓屋体験で出会えない風景であるだけにさらに趣が感じられる。
村の工房にはアクティビティーも満載だ。百済茶体験、公州の名物である栗を使ったお菓子作り、百済の閨房(女性専用の部屋)文化の見学、百済遺物小物作りなどを楽しむこめ、韓屋の情緒と百済の感性が同時に味わえる。宿泊は、2人部屋から家族のための3~6人部屋などがあり、価格は部屋のタイプによって5万ウォンから15万ウォン程度で、普通のホテルよりも安い。

1400年の時を経て復活した百済の地「百済文化団地」

雄大な精神文化を持つ高句麗、華やかな文化を開花させた新羅に比べて百済は、羅唐連合軍に敗れた痛みの王国だ。残された遺産の運命も同様だ。百済の都である公州と扶余をめぐる旅も、今はその跡だけが残された「址」だけを見て回るため、百済を訪ねる旅行者は、残念に思う気持ちを隠せなかった。しかし、そのような心配も今では昔の話だ。長い歳月の間、息をひそめていた百済の魂を現在に蘇らせた百済歴史テーマパークである「百済文化団地」がオープンして観光客を迎えているからだ。
百済文化団地は、扶余の新しい観光スポットとして浮上した韓国型歴史公園。百済の悠久の歴史と輝かしい文化を再現するために、1994年から2010年までなんと17年間にわたり、6971億ウォンをかけて、失われた巨大な百済の世界観を現実のものとして再現した。
百済歴史テーマパークだから、中途半端な再現物やドラマ撮影地ほどのレベルを考えては困る。今はなき百済の建築物を、出土した遺物や百済の建築技法が伝えられた日本の寺などを回り、様々な考証の方法により、最大限、原形に近づけた。建物を建てる時は文化財以上に精魂が込められた。大木匠、漆匠、丹青匠など韓国伝統建築の6つの分野の職人たちが参与し、文化財復元級の完成度を誇るもので、見る価値も格別だ。

百済文化団地

百済文化団地

巨大な威容のサビ城&陵寺、百済時代へ時間旅行

百済文化団地は、百済王宮の泗沘宮、百済の代表寺院である陵山里寺、貴族の家や庶民の住居などの古い建築物150棟が建てられ、百済当時の政治・経済・文化生活を見せる空間である。その中で消えた百済王宮泗沘城が断然見どころだ。泗沘城は、韓国初の百済王宮を再現したもので、王宮、陵寺、生活文化村などで構成されている。韓国と日本に残っている百済の資料をもとに、百済時代の建築様式をリアルに再現した、百済の歴史と文化を理解するランドマークである。
三国時代の王宮の中で初めて再現された泗沘宮は、宮殿の中心となる天政殿と東の文思殿、西の武德殿などが回廊で囲まれた形がこの上なく美しい。
4492平方メートルの広さに14棟が建てられ、古代の宮殿の基本的な配置形式に従って、王が政務を行った空間を再現した。
天政殿が断然、観光客の目を引く。宮殿の中でも最高の象徴的空間で、新年賀礼式、外国使臣接見など、国や王室の重要な行事にのみ使用されていた空間で、高さ19m、建築面積337平方m、2階の規模で、壮大さと華やかさを兼ね備えた百済王国の位相がうかがえる。特に宮殿の裏の庭園にある東屋に上がって景色を見ると、周囲の環境とよく調和した美しい景観に、思わず感嘆の声が上がるほどなので、ぜひ訪ねてみたい所だ。
百済時代の寺院である陵寺もある。陵寺は、寺院の名称が明らかにされておらず、地名を取って名づけられたもので、扶余郡扶余邑陵山里で発掘された寺院ということで「陵寺」と名づけられた。百済を代表する遺物である金銅大香炉(国宝287号)が発見された寺の建物の址をもとに、五層木塔や金堂、講堂、回廊など13の百済時代の寺の建物を完成した。
再現された百済の巨大な王宮が目を引くが、より深みのある百済の遺産に接したい人ならば、百済の歴史博物館である百済歴史文化館をお勧めしたい。地下1階、地上2階の延べ面積8796平方メートルで、 1階は百済の歴史と生活文化、 2階は百済の信仰と文化交流をテーマに4つの常設展示と企画展示室などを備えている。観覧客が最も多く訪れる場所は1階の生活文化館で、1400前の百済時代の市場、港の様子や王宮の朝会の場面、人々が城を築く様子などが模型に再現されている。また、武寧王陵、定林寺址五層石塔、彌勒寺址石塔、金銅大香炉などの主要な遺跡・遺物の複製品も展示されており、七支刀、瑞山磨崖三尊仏などは、最先端の映像技術で紹介しており、実物を目の前で見るように幻想的だ。
http://tour.chungnam.net/

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