百済歴史を巡る扶余の旅

2019年08月27日

부여-정림사지-여름--중앙에서-북쪽으로-(5)

2015年、ユネスコ世界遺産に登録された百済歴史遺跡地区。忠清南道の扶余郡と公州市、全羅北道の益山市の全部で8ヵ所の遺跡が百済の古の歴史を今に伝えている。その中心となる扶余郡にある百済の遺跡を紹介しよう。

文/町野山宏記者

 

扶余郡は今から1500年前、三国時代の強国の中の一つである百済の3番目の都となる泗沘(サビ)があったところだ。百済は紀元前18年、現在のソウルである漢城に都を定めていたが、北方の強国・高句麗の侵攻によって475年、熊津(ウンジン/現在の公州市)に都を移した。それから63年後の538年、熊津で大きく発展した百済は再び遷都し、この泗沘の地に都を定めた。その後、660年に羅唐(新羅と唐)連合軍によって滅ぼされるまで泗沘の都を中心に文化を花咲かせた夢の跡が今も残っている。

まずは、扶蘇山城(プソサンソン)から出発しよう。泗沘の都は、韓国の中央を横切って西海に流れ込む白馬江(ペンマガン)に北側と西側を囲まれている。そして白馬江に面した扶蘇山が北から都を見下ろしている。扶蘇山城は平時には後苑として、戦時においては最後の防御城となった。

まずは扶蘇山城の入口から登っていく。最初に現れたのが、百済時代の三人の忠臣を祀る三忠祠(サムチュンサ)。百済の最後の王である義慈(ウィジャ)王の政治の間違いを正すために苦労しながらも投獄され、獄中で断食して死んだ成忠(ソンチュン)、羅唐連合軍の侵攻の時に、配流された身でありながら防御策を王に伝えた興首(フンス)、新羅の金庾信(キム・ユシン)将軍の5万の軍勢に対して5千の決死隊を率いて戦い、壮烈な死を遂げた階伯(ケベク)が祀られている。

三忠祠から山道を登っていくと、少し盛り上がった畝が続いている。解説がなければ見分けにくいが、当時は2mほどの高さがあったという城壁だ。百済の城壁は土を何層にも踏み固めてつくったもので、その築城方法は日本にも伝えられたという。城壁の上にも立派な松の木がしっかりと根を下ろしている姿が見える。松の木よりもずっと古い城壁だという事実を目の当たりにし、その歴史の深さを実感した。

多くの楼閣を見ながら登っていくと、660年、羅唐連合軍によって百済が滅ぼされた時のエピソードが残る「落花岩(ナッカアム)」が現れる。落花岩は白馬江を望む断崖の上にある。ここまで追われてきた百済の宮女たちは、新羅の軍に捕らえられて辱めを受けるよりは死を選び、白馬江の流れに身を投げた。宮女たちの姿が花のようだったということで、この断崖は「落花岩」と呼ばれている。

岩の上には「百花亭(ペックァジョン)」と名づけられた東屋が建っている。宮女たちの悲しみを慰め、その高貴な精神を称えるために、1929年に当時の郡守である洪漢杓(ホン・ハンピョ)によって建てられたものだ。

 

IMG_4720

 

「百花亭」からはこの断崖を下りる道ができており、切り立った崖の下まで歩いて降りることができる。断崖の下には「皐蘭寺(コランサ)」と呼ばれる寺がある。寺の裏には、衣で目を覆いながら身を投げる宮女たちの姿が描かれており、その前で手を合わせる人たちも多い。

皐蘭寺の裏手には湧き水が出ているが、「その薬水を1杯飲むたびに3歳若返る」という伝説がある。今もこんこんと湧き出ている薬水の前では参拝客が列をなしている。

 

IMG_4743

 

落花岩を下まで下りると船着場があり、帆掛け舟で白馬江のクルーズを楽しめる。のどかな川辺の風景と共に、切り立った落花岩や百花亭なども川から眺められる。落花岩には、朝鮮時代の学者である宋時烈(ソン・シヨル)の筆による「落花岩」という字が刻まれているが、この字も舟からのみ眺めることができる。豊かな実りを与え、都を守った白馬江のクルーズは、扶余旅行の中でも屈指のアトラクションだ。

 

제6경-백마강수상관광

 

クルーズの終着点であるクドゥレ渡し場からほど近い「クドゥレ飲食特化通り」には、たくさんの食堂が並ぶ。扶余の名物といえば、蓮の葉ご飯やウナギの蒲焼、韓牛焼肉などがあるが、シティツアーでは昼食が各自とるようになっており、好きなものを選んで食べる楽しみもある。

 

百済の石造文化を伝える定林寺五層石塔

扶蘇山城の前は、一帯が官北里(クァンブンニ)遺跡となっている。泗沘の宮があった場所と推定されており、大きな建物の址や倉庫址、蓮池址などが残っている。見渡すとそうとう広い範囲にわたって遺跡が発見されていることが分かる。今は地方の小都市に過ぎないが、三国時代当時は朝鮮半島を三分する勢力の首都だったその様子が見えるようだ。

官北里遺跡の南、泗沘の中央に位置するのが定林寺址(チョンニムサジ)だ。定林寺址の一番の見所はやはり、高さ8・3mの五層石塔。石塔の1層目の塔身に、百済を滅ぼした唐の将軍・蘇定方を称える文が刻まれていることから、以前は唐の軍がつくったものと推測して「平済塔」と呼ばれてきた。百済にとっては不名誉な遺跡であった訳だが、後になって寺の址から「定林寺」という名称が刻まれた瓦が見つかった。定林寺は、高麗時代に大蔵経を収めたという内容が記載されており、高麗時代においても重要な寺であったということが分かる。そしてこの塔も「平済塔」ではなく「定林寺址五層石塔」と呼ばれるようになった。

韓国の仏塔の歴史を見ると、もともと木で建てていたものを石で再現するようになっていくが、この石塔は石塔としての完成度を極めており、非常に均整の取れた比例を見せる優雅な塔として評価されている。構造的にもこの上なく安定しているため、現在まで一度も解体したことのない塔で、もし解体したら、現在の技術でも復元することは難しいといわれている。

 

都を囲む羅城の外には王族が眠る陵山里古墳群が

ユネスコ世界遺産として登録された百済の遺跡はまだある。陵山里(ヌンサルリ)古墳群と羅城(ナソン)だ。泗沘の都が白馬江に二方を囲まれていることで、国防に有利だったが、東側は無防備であるため、「羅城」と呼ばれる外郭の土壁を築いた。この羅城は百済の時代だけでなく、高麗時代、朝鮮時代にも使われ、何度か修復された痕跡が見られる。下部は土を何層にも重ねて築城され、上部は石造の城となっている。

羅城には防衛の意味もあったが、城の内と外を区別するための意味合いが大きかったといわれている。城の内側は生ける者のための領域、城の外は死せる者の領域として区別するためのものだ。現在、羅城が残っている部分の外側には、泗沘時代の王陵である陵山里古墳群があり、王族のものと推定されている陵が7基見つかっている。発掘調査の以前にすべて盗掘されており、誰の陵であったのかも明らかにされていないが、一番下の列の3基のうち、2号墳である「中下塚(チュンハチョン)」は聖(ソン)王、1号墳であるその隣の「東下塚(トンハチョン)」は聖王の息子である威徳(ウィドク)王のものと推定されている。

「東下塚」の内部の壁には四神図が描かれ、天井には蓮の花と雲が描かれている。東西南北の守護神である四神図は道教、そして蓮の花は仏教に関連する文様で、当時、道教と仏教が融合した精神文化を持っていたことが推測できる。古墳自体は保存のため、中に入ることはできないが、実物大の模型がつくられており、内部の様子が再現され、見学することができる。

陵山里の古墳群と羅城との間に見つかった百済時代の寺の址も、発掘が終わり、寺の址が分かりやすく表示されていた。この寺は定林寺と同じ一塔一金堂式の伽藍配置で、王陵の祭祀のための寺だったのではないかと推定されている。この位置は遺跡として残されるが、当時の寺の姿は百済文化団地に「陵寺」として復元されている。当時の建築に関する資料が少ないため、国内の遺跡や日本、中国などに残る寺から推測して建てられたものだが、扶余旅行の必須コースとしてお勧めの場所だ。

また、ここ陵山里古墳群の隣の寺から発見されたのが、国宝287号となっている「金銅大香炉(クムドンテヒャンノ)」だ。咲いたばかりの蓮の花をくわえている龍の姿を表現した香炉で、その精巧さと美しさによって多くの人たちを魅了してきた。国立扶餘博物館に展示されているため、ぜひ訪れておきたい。

 

Information

扶余郡まではソウル南部ターミナルから10~30分間隔で市外バスが運行中。2時間所要。扶余郡の観光名所を楽に回れる4色シティーツアーもある。扶余郡観光サイト(http://tour.buyeo.go.kr)もしくは扶余郡忠南総合観光案内所まで電話(041-830-2880)で申込む。

Pocket

関連する記事はこちら

션샤인-랜드2

ソウルから近場の地方旅行「忠清南道 冬の4都市物語」

韓国の冬は厳しい。零下10度はざらな中で、外に出るのも億劫になってしまう。それでも韓国の冬ならではの楽しみがある。そんな韓国の冬の地方旅を楽しみたいという熱烈韓国ファンのために、ソウルから少し足を伸ばせば行ける忠清南道の旅行地をまとめてみた。 文/町野山宏記者、写真/石麟哲記者 …続きを読む

閑麗水道眺望ケーブルカー

「閑麗水道の秘境を抱く韓国代表文化芸術都市、 統営市へようこそ!」

「閑麗水道の秘境を抱く韓国代表文化芸術都市、 統営市へようこそ!」   インタビュー: 金東鎭・統営市長    韓国の南端にある統営(トンヨン)は、昔からの歴史と海洋文化が息づく韓国3大美港の一つに数えられる。秀麗な海の絶景によって「韓国のナポリ」と賞賛され、…続きを読む

2017cityofyear

2017今年の観光都市

今年最も期待される地方都市の旅、2017今年の観光都市 2017年の韓国観光は 「光州南区・江陵市・高靈郡」へ! 「今年の観光都市」は、韓国政府文化体育観光部が、観光の潜在力が大きい韓国の中小都市3ヵ所を選定、体系的な地方観光産業の育成とマーケティング、そして国内外の観光客に新し…続きを読む

noodle3-150x150

ソウル庶民の生活を体験し、たっぷりの人情と味を楽しむ – 通仁市場

ソウル庶民の生活を体験し、たっぷりの人情と味を楽しむ 通仁市場   さわやかな秋風と共に、おいしい便りが話題となっている。景福宮のそばにある在来市場として長い歴史を持つ通仁(トンイン)市場のお弁当が人気を集めているとか。特別な韓国のお弁当を探しに、通仁市場へ出かけてみよう。 文/…続きを読む

論山_明齋故宅

晩秋の感性充電! 忠清南道・論山

  千年歴史の山寺を越え、両班故宅と近代通りが迎える 韓国旅行の新世界 晩秋の感性充電! 忠清南道・論山    論山は新世界だ。千年の歳月を守ってきた仏教寺院での静かなヒーリングの後に、完璧に保存された朝鮮時代の両班故宅と100年以上前の近代通りの歴史が、けっ…続きを読む

송도리포트_메인

仁川国際空港から一足、都心で満喫する一風変わった逸脱

  夕日が沈む頃。仁川松島国際都市を散歩するにはいい時間だ。セントラルパークに灯りが一つ二つ灯り始めると、都市は幻想的なムードを醸し出す。そびえたつ摩天楼とビル群は大都心ソウルを思わせるが、海と湖と森が都心を囲み、穏やかな海風と悠々自適なボートに水路に似合うカフェ通りが…続きを読む

IMG_1669

古都の4つの要件を備えた百済歴史の扉を開く鍵益山市

  ユネスコ世界遺産に登録された百済歴史遺跡地区のうち、2ヵ所の遺跡を持つ全羅北道益山(イクサン)市。これから世界の人々が訪れる観光地となる益山市の魅力について、益山市の朴慶澈市長に聞いてみた。 文/町野山宏記者 全羅北道 益山市長 朴慶澈   Q.まず最初に…続きを読む

경상북도_메인_주왕산

慶尚北道の冬を楽しむ5つのテーマ

慶尚北道の冬を楽しむ5つのテーマ 「冬がいい、慶尚北道がいい、慶尚北道冬の旅」    韓国東南部に位置する慶尚北道は、韓国内でも最も魅力的な観光地に数えられる。四季の美しい魅力を誇る自然をはじめ、慶州や安東に代表される歴史遺産、そして慶尚北道だからこそ味わえる珍味が満載…続きを読む

東海岸圏経済自由区域01
東海岸圏経済自由区域02