百済歴史を巡る扶余の旅
2015年、ユネスコ世界遺産に登録された百済歴史遺跡地区。忠清南道の扶余郡と公州市、全羅北道の益山市の全部で8ヵ所の遺跡が百済の古の歴史を今に伝えている。その中心となる扶余郡にある百済の遺跡を紹介しよう。
文/町野山宏記者
扶余郡は今から1500年前、三国時代の強国の中の一つである百済の3番目の都となる泗沘(サビ)があったところだ。百済は紀元前18年、現在のソウルである漢城に都を定めていたが、北方の強国・高句麗の侵攻によって475年、熊津(ウンジン/現在の公州市)に都を移した。それから63年後の538年、熊津で大きく発展した百済は再び遷都し、この泗沘の地に都を定めた。その後、660年に羅唐(新羅と唐)連合軍によって滅ぼされるまで泗沘の都を中心に文化を花咲かせた夢の跡が今も残っている。
まずは、扶蘇山城(プソサンソン)から出発しよう。泗沘の都は、韓国の中央を横切って西海に流れ込む白馬江(ペンマガン)に北側と西側を囲まれている。そして白馬江に面した扶蘇山が北から都を見下ろしている。扶蘇山城は平時には後苑として、戦時においては最後の防御城となった。
まずは扶蘇山城の入口から登っていく。最初に現れたのが、百済時代の三人の忠臣を祀る三忠祠(サムチュンサ)。百済の最後の王である義慈(ウィジャ)王の政治の間違いを正すために苦労しながらも投獄され、獄中で断食して死んだ成忠(ソンチュン)、羅唐連合軍の侵攻の時に、配流された身でありながら防御策を王に伝えた興首(フンス)、新羅の金庾信(キム・ユシン)将軍の5万の軍勢に対して5千の決死隊を率いて戦い、壮烈な死を遂げた階伯(ケベク)が祀られている。
三忠祠から山道を登っていくと、少し盛り上がった畝が続いている。解説がなければ見分けにくいが、当時は2mほどの高さがあったという城壁だ。百済の城壁は土を何層にも踏み固めてつくったもので、その築城方法は日本にも伝えられたという。城壁の上にも立派な松の木がしっかりと根を下ろしている姿が見える。松の木よりもずっと古い城壁だという事実を目の当たりにし、その歴史の深さを実感した。
多くの楼閣を見ながら登っていくと、660年、羅唐連合軍によって百済が滅ぼされた時のエピソードが残る「落花岩(ナッカアム)」が現れる。落花岩は白馬江を望む断崖の上にある。ここまで追われてきた百済の宮女たちは、新羅の軍に捕らえられて辱めを受けるよりは死を選び、白馬江の流れに身を投げた。宮女たちの姿が花のようだったということで、この断崖は「落花岩」と呼ばれている。
岩の上には「百花亭(ペックァジョン)」と名づけられた東屋が建っている。宮女たちの悲しみを慰め、その高貴な精神を称えるために、1929年に当時の郡守である洪漢杓(ホン・ハンピョ)によって建てられたものだ。
「百花亭」からはこの断崖を下りる道ができており、切り立った崖の下まで歩いて降りることができる。断崖の下には「皐蘭寺(コランサ)」と呼ばれる寺がある。寺の裏には、衣で目を覆いながら身を投げる宮女たちの姿が描かれており、その前で手を合わせる人たちも多い。
皐蘭寺の裏手には湧き水が出ているが、「その薬水を1杯飲むたびに3歳若返る」という伝説がある。今もこんこんと湧き出ている薬水の前では参拝客が列をなしている。
落花岩を下まで下りると船着場があり、帆掛け舟で白馬江のクルーズを楽しめる。のどかな川辺の風景と共に、切り立った落花岩や百花亭なども川から眺められる。落花岩には、朝鮮時代の学者である宋時烈(ソン・シヨル)の筆による「落花岩」という字が刻まれているが、この字も舟からのみ眺めることができる。豊かな実りを与え、都を守った白馬江のクルーズは、扶余旅行の中でも屈指のアトラクションだ。
クルーズの終着点であるクドゥレ渡し場からほど近い「クドゥレ飲食特化通り」には、たくさんの食堂が並ぶ。扶余の名物といえば、蓮の葉ご飯やウナギの蒲焼、韓牛焼肉などがあるが、シティツアーでは昼食が各自とるようになっており、好きなものを選んで食べる楽しみもある。
百済の石造文化を伝える定林寺五層石塔
扶蘇山城の前は、一帯が官北里(クァンブンニ)遺跡となっている。泗沘の宮があった場所と推定されており、大きな建物の址や倉庫址、蓮池址などが残っている。見渡すとそうとう広い範囲にわたって遺跡が発見されていることが分かる。今は地方の小都市に過ぎないが、三国時代当時は朝鮮半島を三分する勢力の首都だったその様子が見えるようだ。
官北里遺跡の南、泗沘の中央に位置するのが定林寺址(チョンニムサジ)だ。定林寺址の一番の見所はやはり、高さ8・3mの五層石塔。石塔の1層目の塔身に、百済を滅ぼした唐の将軍・蘇定方を称える文が刻まれていることから、以前は唐の軍がつくったものと推測して「平済塔」と呼ばれてきた。百済にとっては不名誉な遺跡であった訳だが、後になって寺の址から「定林寺」という名称が刻まれた瓦が見つかった。定林寺は、高麗時代に大蔵経を収めたという内容が記載されており、高麗時代においても重要な寺であったということが分かる。そしてこの塔も「平済塔」ではなく「定林寺址五層石塔」と呼ばれるようになった。
韓国の仏塔の歴史を見ると、もともと木で建てていたものを石で再現するようになっていくが、この石塔は石塔としての完成度を極めており、非常に均整の取れた比例を見せる優雅な塔として評価されている。構造的にもこの上なく安定しているため、現在まで一度も解体したことのない塔で、もし解体したら、現在の技術でも復元することは難しいといわれている。
都を囲む羅城の外には王族が眠る陵山里古墳群が
ユネスコ世界遺産として登録された百済の遺跡はまだある。陵山里(ヌンサルリ)古墳群と羅城(ナソン)だ。泗沘の都が白馬江に二方を囲まれていることで、国防に有利だったが、東側は無防備であるため、「羅城」と呼ばれる外郭の土壁を築いた。この羅城は百済の時代だけでなく、高麗時代、朝鮮時代にも使われ、何度か修復された痕跡が見られる。下部は土を何層にも重ねて築城され、上部は石造の城となっている。
羅城には防衛の意味もあったが、城の内と外を区別するための意味合いが大きかったといわれている。城の内側は生ける者のための領域、城の外は死せる者の領域として区別するためのものだ。現在、羅城が残っている部分の外側には、泗沘時代の王陵である陵山里古墳群があり、王族のものと推定されている陵が7基見つかっている。発掘調査の以前にすべて盗掘されており、誰の陵であったのかも明らかにされていないが、一番下の列の3基のうち、2号墳である「中下塚(チュンハチョン)」は聖(ソン)王、1号墳であるその隣の「東下塚(トンハチョン)」は聖王の息子である威徳(ウィドク)王のものと推定されている。
「東下塚」の内部の壁には四神図が描かれ、天井には蓮の花と雲が描かれている。東西南北の守護神である四神図は道教、そして蓮の花は仏教に関連する文様で、当時、道教と仏教が融合した精神文化を持っていたことが推測できる。古墳自体は保存のため、中に入ることはできないが、実物大の模型がつくられており、内部の様子が再現され、見学することができる。
陵山里の古墳群と羅城との間に見つかった百済時代の寺の址も、発掘が終わり、寺の址が分かりやすく表示されていた。この寺は定林寺と同じ一塔一金堂式の伽藍配置で、王陵の祭祀のための寺だったのではないかと推定されている。この位置は遺跡として残されるが、当時の寺の姿は百済文化団地に「陵寺」として復元されている。当時の建築に関する資料が少ないため、国内の遺跡や日本、中国などに残る寺から推測して建てられたものだが、扶余旅行の必須コースとしてお勧めの場所だ。
また、ここ陵山里古墳群の隣の寺から発見されたのが、国宝287号となっている「金銅大香炉(クムドンテヒャンノ)」だ。咲いたばかりの蓮の花をくわえている龍の姿を表現した香炉で、その精巧さと美しさによって多くの人たちを魅了してきた。国立扶餘博物館に展示されているため、ぜひ訪れておきたい。
Information
扶余郡まではソウル南部ターミナルから10~30分間隔で市外バスが運行中。2時間所要。扶余郡の観光名所を楽に回れる4色シティーツアーもある。扶余郡観光サイト(http://tour.buyeo.go.kr)もしくは扶余郡忠南総合観光案内所まで電話(041-830-2880)で申込む。
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