三十三観音聖地巡礼 6番目の地  法住寺(ポプジュサ)

2010年09月24日

三十三観音聖地巡礼 法住寺(ポプジュサ)

法住寺 は忠清北道(チュンチョンプクド)報恩郡(ポウングン)内俗離面(ネソンニミョン)南里(ナムリ)にある法住寺は、大韓仏教・曹渓宗第5教区の本山です。新羅炤知王(ソジワン)15年(493)に心地王師(シムチワンサ)または、普照国師(ポジョククサ)が創建したとして伝えられています。 俗離山(ソンニサン)の8つの高台、8つの石門が蓮の花びらのように寺院の境内を取り囲んでいます。蓮の花に包まれるようにひっそりとたたずんでいる法住寺は文字通り、仏土のような雰囲気を漂わせています。法住寺は吉祥寺(キルサンサ)という別の名前があり、真表律師(チンピュルサ)の跡を継いだ詠深大徳(ヨンシンデドク)によって韓国を代表する寺院となりました。建立当時からこの寺院では弥勒丈六像を奉安し、弥勒菩薩が天下りし、衆生を救うと信じる弥勒下生の道場としての役割を果たしてきました。高麗時代に入ってからは王室と密接な関係を保ちながら、大覚国師(テガクククサ)の弟である導生僧統(トセンスントン)が住持を勤めるなど法相宗の本山となりました。法住寺を代表する建物は5階建ての木塔の形をした八相殿(パルサンジョン)で、壬辰乱(文禄・慶長の役)の後に建て直されたものですが、現存する数少ない木塔のひとつです。朝鮮時代後期にも王室と密接な関係は続き、寺の中には王室の願堂である宣禧宮(ソンヒグン)願堂が残っています。寺には高麗時代石塔の法住寺(ポプチュサ)五層石塔(慶尚北道(キョンサンブクト)文化財資料第27号)があり、また国内で最も大きい石臼の軍威(グヌィ)である法住寺(ポプチュサ)王石臼(慶尚北道(キョンサンブクト)民俗資料第112号)が保管されています。癌石・砥石直径115㎝・厚さ15.5㎝の 王石臼は、過去の寺の規模を推察できる貴重な遺物とされています。また 2001年普光明殿を新しく建設し、2003年冥府殿と山神閣が建立されました。法を常住することができる俗世から離れた世界を象徴する法住という名前のとおり、法住寺は青銅弥勒大仏を中心とした弥勒道場へと生まれ変わっています。

 

法住寺を訪ねて

8つの峰と8つの臺8個の石門、バスが行き来する源銅峠も海抜800mと法住寺は8という数字に縁が深いようです。七曲峠を登り、バスが下り道にさしかかると傘のような三角の形をした正二品松(天然記念物第13号)が見えてきます。樹齢600年のこの木は1464年世祖が俗離山を訪れて祈願をしてこの樹の下を通りかかろうとしたとき木の枝が輿に引っかかることを心配して 「輿が引っかかる」と言ったとたん枝が空に伸び通れるように道を空けたという伝説があります。また世祖一行が漢陽へ帰るときに土砂降りの夕立に合い、この木の下で雨宿りをすることができたということから、後にも先にも前例のない、木に官位品階を授けたといわれています。観光団地を過ぎれば法住寺に到着します。林道がひろがり空を覆い隠すほどのうっそうとした森が2キロも続いています。森を抜けると水晶橋があり、橋を渡る手前にある道を行くと文蔵台に行き着くことができます。文蔵台は3回参ると極楽にいけるといわれています。本来は 雲の中を隠れているという意味の雲蔵台といいましたが、世祖が毎日ここで詩を詠んだことから文蔵台と名前が変えられたといわれています。水晶橋を過ぎ「湖西第一伽藍」と書かれた一柱門と金剛門を抜けると法住寺が現れます。釈迦が入滅して56億7千万年が過ぎれば弥勒仏が地上に降りて龍華樹の下で説法をするといわれている通り、法住寺に入って一番最初に目を引くのは巨大な青銅弥勒仏です。千年の間法住寺を守ってきた青銅弥勒仏が1872年の景福宮造営時に大院君によって微発され、100年後の1964年にコンクリートで弥勒仏を建立しましたが、1990年には高さ33mの青銅仏像を新しく造営しました。弥勒仏の地下1階の花崗岩石室には龍華殿を設けて、その中に弥勒半伽惟像を奉安し、そのまわりの展示空間に聖宝及び約100点の遺物などを展示しています。その中に新法天文図説屏風:宝物第845号があります。1958年(英祖34年)に英祖が「宣祖大王御筆」屏風と共に法住寺に下賜されたもので、当時の韓国天文学の水準を見せてくれる貴重な資料といえます。たとえ年輪は浅くとも、世界最大を誇る青銅弥勒仏は正に法住寺の象徴であり精神だといえます。古刹である法住寺には多くの国宝や宝物、地方文化財が境内のいたるところに安置されています。中でも最も特徴的といえるのが金剛門と四天王門を過ぎるとすぐに見えてくる国内随一の木造多層塔、八相殿(国宝第55号)です。現在では塔と言えばほとんどの人が石塔を連想しますが、韓国にも三国時代には勇壮な木造塔がありました。現在は慶州(キョンジュ)の皇龍寺跡、扶余軍守里の廃寺址等にその址が残っているだけで、現存する木造塔として形式を備えているのは法住寺の八相殿だけです。各層の庇四方に風鐸を付け、鉄の鎖で相輪部宝珠と五層四方庇が連結してあり、女人の曲線の様に緩やかに伸びた四方の屋根が美しい建物です。八相殿内部に入れば、中央の心柱の一つが五層全体を支えており、訪れる人の目を楽しませています。壁には仏様の一代記を描いた絵が八枚と、四体の仏像の前に五百羅漢像が祀ってあります。

 

参拝順路 柱門→金剛門→四大王門→(宗務所)→大雄宝殿→圓通宝殿

住所 忠清北道報恩郡内俗離面寺内里209

電話 (043)543-3615

http://www.beopjusa.or.kr

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