光化門の街にたたずむ歴史の空間 景福宮

2010年09月20日

光化門1

景福宮(キョンボックン)はにぎやかなオフィス街に位置しています。光化門の前は大きな道路があり車や人が行き交います。しかし光化門をくぐって中に入るとそこには歴史の足跡がうかがえる空間が広がります。まるで光化門は現代から過去にタイムスリップできる境界の門のようです。宮内を散策するとここがいかに大きな宮殿であるのかということがわかります。ゆったりと贅沢に取られた敷地は優雅さと威厳を感じます。宮内にある池を見ると当時そこに住んでいた人のゆとりを得たいという心の余裕と豊かさを感じます。いつもたくさんの観光客でいっぱいの景福宮は、昼間はにぎやかな装いです。今年8月のソウルはいつになく雨が多く、訪れたこの日もどしゃ降りの雨で観光客はやむなく雨宿り。雨が止むまで周りの景色をゆっくりと眺めるしばしの時間ができました。緑の木々や道、建物に降り注いだ雨が景福宮をつつみ神聖な気持ちにさえなります。さっきまでの蒸し暑さが和らぎ、澄んだ空気がすがすがしい時間。不意に襲った雨は私たちに景福宮のまた違った美しさを見せてくれました。

 

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景福宮の歴史

景福宮は朝鮮王朝を代表する宮殿です。朝鮮を建国した太祖が国の基盤を整えるために最初に手がけた宮殿であり、最古の歴史を持ち規模も大きく格式の面でも非常に厳格な建築物です。景福宮は北岳山、仁王山、낙산 、南山に囲まれており、清渓川の流れる平地に位置しています。当時の人は吉祥の地は良い運気を呼び込むと考えていたので場所の選択には非常に慎重であり、建物は最高の権威者である王が住む空間であるため最大規模、最高の技術が要求されました。王が臣下とともに国政を運営し王室の家族と生活する宮殿には多くの建物が必要でした。景福宮の数々の建物とその空間構造は建造当時から綿密な計画が練られていました。宮殿の主な門と建物である光化門、勤政殿、思政殿、康寧殿は南北を軸に直線上に並んでおり、これらの主な建物に付属した建物は各領域との中で左右対称となるよう配置されています。周りは四角く城郭を積み、東西南北には門が設けてあります。景福宮建築のこのような威厳は礼儀と道徳により国の基盤を整えようとした朝鮮王朝の基本精神に基づいています。景福宮という名は「万年も輝く大きな福を示す宮殿」という意味を持ちます。ここには天の意志を受け継ぎ、民を治め、代々太平な時代を謳歌したいという朝鮮王朝の強い願いと理想が含まれています。景福宮がもっとも活気に溢れた時代は世宗大王の時です。世宗大王は集賢殿を中心に朝鮮の実状に合わせて各分野の学問を研究し、優秀な人材を養成し、民の生活に役立つ様々な技術を開発し制度を整備しました。とくに世宗大王は世界でもっとも独創的で科学的な文字「ハングル」を発明しました。ハングルの使い方などを解説するために編集された「訓民正音」はユネスコ世界記録遺産に登録されています。高宗は文禄・慶長の役以降273年間空き地だった景福宮を立て直す過程で330余棟の建物を建てました。現在宮殿の随所に敷かれた芝生のある場所はほとんど以前は建物のあった場所です。大切な文化遺産を復元しようとする持続的な関心と努力により最近康寧殿、交泰殿、乾清宮、泰原殿、興礼門、永濟橋など主な建物と門や橋が復元されました。

 

勤政殿(クンジョンジョン)근정전

勤政殿は王が文武百官に出席した中で朝礼を行い、外国の使臣に接見し、即位、冊封、婚礼のような国の重要な行事を行うところで、王と国の権威や品格を示す重要な空間です。北岳山を背景にした重層な建物は、高くて広い2段の月台の上に構えており、勤政殿の周辺を囲った回廊の柱は王を護衛するように並んでいます。庭の中央には王の通る御道があり、左右には臣下が地位に従って立てるよう品階石が立てられています。王を中心に身分の秩序が厳しかった挑戦時代の一面を示しています。

 

宴会を安らぎの場所 後苑

多忙な王と王の家族にはゆっくりと休むことができリフレッシュできる空間が必要でした。慶会楼と香遠亭は、景福宮のさまざまな庭園と後苑の中でもっとも注目を集める場所です。慶会楼は池に中島を作ってそこに建てた大きな楼閣で、易経思想に基づいた宇宙の原理を建築の中に取り入れています。王が外国の使臣を接待したり、臣下と大規模な宴会を開いたりする際に利用されました。弓道が好きだった世祖は池の向こうに的を設置し、慶会楼から弓で矢を射って、その矢が1本も池に落ちなかったといわれるほど腕が良かったといわれています。慶会楼は幼い端宗が叔父の首陽大君(後の世祖)に涙しながら玉璽を渡したという場所でもあります。景福宮の改築当時、高宗は神武門の北に泉、東屋、楼閣を備えた後苑を作りました。香遠亭は景福宮改築を終えて乾清宮を建ててから新しく作った王室専用の休息空間です。乾清宮には朝鮮末期以降、西欧の列強が勢力を争う中で、乱世を新たな覚悟をもって乗り切ろうとした高宗の力強い意志がこもっています。しかし高宗は乾清宮で明成皇后が暗殺される悲劇に見舞われ、景福宮を離れました。これにより景福宮は主を失った宮殿となりました。最近では乾清宮と王や后の棺を御陵に移すまで一時期安置する殯殿として使われた泰元殿も復元されました。

 

観覧時間 3月~10月 9:00~18:00  11月~2月 9:00~17:00

入場料 19歳以上 3000ウォン 7歳~18歳 1500ウォン

入場券の販売は閉館の1時間前まで

休館日 火曜日

行き方 地下鉄3号線 景福宮(キョンボックン)駅5番出口を出て左に進む。少し行くと左手に臨時券売所がある。

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