大韓仏教・曹渓宗5大本山のひとつ 修徳寺(スドクサ)

2010年09月24日

 

001

修徳寺は百済威徳王(威徳王:554~597)在位の当時に高僧智明が初めて建てたと推定されています。 第30代王である武王当時、恵顕が《妙法蓮華経》を講説して広く知れられるようになりました。高麗第31代超恭愍王の時にナウン(懶翁:へグン)が寺を修造しましたが、一説には599年(新羅真平王21)に智命が創建して元暁が修造したとも伝えられています。 朝鮮時代第26代王高宗2年(1865)に満空(マンゴン)が重刱した後、禅宗唯一の根本道場として今日に至っています。主要文化財で国宝第49号の修徳寺(スドクサ)大雄殿は国宝第18号の永住浮石寺(プソクサ)無量寿殿(浮石寺無量寿殿)と共に現存する韓国最古の木造建物です。それ意外にも大雄殿両側に僧侶たちの修道場である白蓮堂と青蓮堂があり、さらに精舎と3層石塔が存在します。また1,020階段、弥勒仏立像・万空塔・金仙台・真影閣などがあり、その上に万空が座禅道場として建てた定慧寺があります。付属庵子であり尼僧らの座禅道場である見性庵と尼僧金一葉が起居した歓喜台があり、善修庵・極楽岩などが周辺に散在しています。特に見性岩には尼僧らが座禅精進する徳崇叢林が設立されています。観音殿には観世音菩薩像を奉安しており、また観音岩の前には石造観音菩薩像を奉安しています。

 

日本「飛鳥寺」との姉妹寺

修徳寺は雲水衲子(ウンスナプジャ:雲や水のように遂行先を渡り歩きながら遂行する僧侶)が修行している道場です。大韓仏教・曹渓宗5大本山(海印寺、通度寺、松広寺、修徳寺、白羊寺)の一つであって百済時代に創建された寺院とされています。大雄殿の側面を見ると、建物の古い歴史を感じることができます。修徳寺は596年に完成した日本初の寺院1塔3金堂と大仏が有名で、渡来人の子孫が制作した「飛鳥寺」とは姉妹寺院となっています。

 

修徳寺の創建にまつわる 不思議な言い伝え

修徳寺には創建にまつわる言い伝えがあります。それは不思議でまた悲しい恋のお話でした。昔ホンジュの村に修徳という一人の男が住んでいました。修徳は立派な一族の男でしたが、ある日狩に行った先で一人の娘を見て恋に落ちてしまいます。 家に帰ってからも娘のことが忘れられない修徳は噂をたよりに娘を捜しました。すると娘は向いの村でたった一人で暮らすトクスンという娘であることがわかりました。修徳は娘に結婚を申し込みましたが何度も断られてしまいました。しかし修徳の粘り強い求婚に、ついに娘は自分の家の近くに寺を建てるということを条件に修徳との結婚を許諾しました。水徳は嬉しくなって早速寺を作り始めました。 しかし水徳は貪欲な心を捨てることができなかったために寺は完成する前に火事が起こって消失してしまいました。 また寺を作り始めましたがときおり娘のことが頭に浮かび、また火事が起こって寺を完成することができませんでした。三度目はひたすら仏様のことだけを考えて寺を作りました。 ようやく寺が完成しその後娘は、修徳と結婚することになりました。結婚してからも修徳は娘に触れようとしませんでした。しかし娘を愛する修徳は我慢できなくなり娘をむりやりに抱きしめた瞬間、雷鳴が起こり娘はどこかに消えてしまいました。そしてそこには娘が履いていた片方の足袋だけが残っていました。またその場所は岩に変わりそのそばには足袋の形をした白い花が咲いており、後にこの花は足袋花といわれるようになりました。娘は観音菩薩の化身であり、以後寺は修徳道令の名前を取って修徳寺と名づけられ、山はトクスン娘の名前を取って徳崇山(トクスンサン)と呼ばれるようになったそうです。

 

<参拝順路>

一柱門金剛門天王門(宗務所)→ 大雄殿観音殿

 

〒340-921 忠清南道礼山郡徳山面沙川里20 (041)337-6565
http://www.sudeoksa.com/

Pocket

関連する記事はこちら

光化門1

光化門の街にたたずむ歴史の空間 景福宮

景福宮(キョンボックン)はにぎやかなオフィス街に位置しています。光化門の前は大きな道路があり車や人が行き交います。しかし光化門をくぐって中に入るとそこには歴史の足跡がうかがえる空間が広がります。まるで光化門は現代から過去にタイムスリップできる境界の門のようです。宮内を散策するとこ…続きを読む

069

康陵(カンヌン)

泰陵に葬られている文定王后の子で代13代明宗(1534-67/在位1545-67)とその后である仁順王后(1532-75)が葬られているのが康陵です。朝鮮王陵についての詳細は、復元遺物や映像を通し、朝鮮王陵の保存、管理の歴史と山陵祭礼を見ることができます。朝鮮王陵は歴代の王の意思…続きを読む

1

ユネスコ世界遺産をめぐる 朝鮮王朝の王の墓 王陵

朝鮮王陵とは1392年から518年間続いた朝鮮王朝の時代の歴代王族が眠る墓のことです。朝鮮王陵は1408年から1966年のおよそ5世紀に渡って造られ、韓国が申請した朝鮮王陵40基がユネスコ世界遺産として登録されています。韓国の中で世界遺産として9番目に登録され、ソウル近郊を中心に…続きを読む

고인돌1

仁川の江華島(カンファド)文化遺産踏査記

江華島(カンファド)の生き生きとした歴史を感じる 「家しか知らない子供は愚かな者だ」、「旅行に出ると、賢くなる」という西洋の噂のように、旅行は沢山の知恵と教訓を与えてくれる。遊び盛りの子供は全てのことを五感を通して学ぶため、旅行ほどレベルの高いレッスンはないだろう。そして、旅行は…続きを読む

서브01-행사

リゾートと歴史観光を一度に味わう「百済文化団地」

歴史のテーマパーク、壮大スケールで扶余に出現 リゾートと歴史観光を一度に味わう「百済文化団地」 百済文化団地は忠清南道(チュンチョンナンド)扶余(プヨ)郡に位置している公共施設でサビ城(王宮、陵寺、生活文化等)、百済歴史文化館、韓国伝統文化学校と民間施設である宿泊施設(コンド、ス…続きを読む

부여-궁남지-초가을-(2)

百済時代の愛の物語が込められた「宮南池」

  古の百済の都「泗沘(サビ)」は現在の忠清南道扶余郡にあった。ユネスコ世界遺産に登録された「百済歴史遺産地区」の8つの遺跡のうち半分が扶余郡に位置するが、世界遺産に登録された遺跡のほかにも魅力的な百済の遺跡が扶余の地に残っている。それが「宮南池(クンナムチ)」だ。 宮…続きを読む

菩提庵

韓国33観音聖地をめぐる「私探しの旅」~南部圏~

韓国33観音聖地をめぐる「私探しの旅」~南部圏~   ありふれた韓国旅行ではない癒しの旅行を求める人たちに、お勧めしたいのが「韓国33観音聖地をめぐる旅」だ。1700年の歴史を誇る韓国の仏教文化は、同じ仏教文化圏の日本のそれとはまた赴きが違い、色鮮やかながらも、素朴なも…続きを読む

定林寺址五層石塔

世界遺産登録! 失われし百済の都を歩く

世界遺産登録 失われし百済の都を歩く 公州市・扶餘郡・益山市   韓国で12番目の世界文化遺産が登録された。「百済歴史遺跡地区」という名称の忠清南道の公州市、扶餘郡、全羅北道の益山市にある8つの遺跡だ。百済遺跡地区は公州の公山城(コンサンソン)、公州の宋山里(ソンサンニ…続きを読む


東海岸圏経済自由区域01
東海岸圏経済自由区域02

  • travel agence