ソンビの故郷・栄州の韓国で最初の書院…紹修書院

2016年08月03日

紹修書院00

 韓国の精神世界を表現した言葉に「ソンビ精神」がある。教養があり、文武両道で清廉な人をソンビといい、特権階級である両班(ヤンバン)の持つべき徳目とされてきた。そんなソンビたちの故郷と呼ばれる地域がある。慶尚北道の栄州(ヨンジュ)市だ。韓国で最初の書院である紹修書院(ソスソウォン)をはじめ、韓国で現存する最古の木造建築がある浮石寺(プソクサ)など、韓国の精神文化を垣間見ることができる場所がある。紹修書院とその周辺のスポットを紹介しながら、そこに掛けられたソンビたちの思いを探ってみよう。
文/町野山宏記者

 

紹修書院は栄州市内から市内バスで1時間ほど行った山の中にある。儒教の勉強に集中するために、人里離れた場所に書院を建てたためだ。訪ねるのは不便だが、自然の中で精神修養に励んだソンビたちの姿を想像するには最適なのではないだろうか。

紹修書院について紹介する前に、書院とは何かということについて解説しておこう。

日本で書院といえば、寺院や武家住宅での居間兼書斎のことをいうが、韓国での書院(ソウォン)は、儒学を教え、聖賢を祀る機関をいう。郷校(ヒャンギョ)も書院と同じ役割をしているが、郷校が公立であるのに対し、書院は私立の機関であるという違いがある。

書院の始まりは中国で、唐の時代に端を発するが、韓国で書院が最初につくられたのは朝鮮時代の中期のこと。もちろん、朝鮮王朝は建国初期から儒教を中心とした政策を立てており、書斎や書堂などの機関はあったが、「斎(チェ)」と呼ばれる教育だけを行っていた。それを当時の豊基(プンギ)郡守である周世鵬(チュ・セブン)が、「祠(サ)」と呼ばれる聖賢を祀る機能も行う書院として建てたのが、朝鮮11代王である中宗の時のことだ。まさにこの韓国で最初の書院が、今回紹介する紹修書院である。

紹修書院01 1542年、周世鵬が最初に建てた時の名称は「白雲洞(ペグンドン)書院」だった。宋の時代に朱子が建てた白鹿洞書院がある廬山に雲や山や川が似ているということで、「白雲洞」としたという。白雲洞書院で祀られているのは、高麗時代に性理学を伝えた安珦(アン・ヒャン)だ。書院が建てられた場所は宿水寺(スクスサ)という寺があったところで、安珦が幼い頃に勉強した場所でもあるという。寺院だった頃の痕跡は、書院の入口の前にある幢竿支柱に見ることができる。

紹修書院は韓国で最初の書院だということだが、それだけでなく、最初の賜額(サエク)書院であることも大きな特徴の一つだ。賜額書院とは文字通り、額を賜った書院ということ。1549年、豊基郡守に赴任した退渓・李滉(テゲ・イファン)が、政府に書院の扁額の下賜を要請したところ、翌1550年に、時の王である明宗(ミョンジョン)の命によって、大提學の位を持つ申光漢(シン・グァンハン)が「紹修書院」と命名した。その名称は、「旣廢之學、紹而修之(すでに廃れている教学を継承して修めさせた)」という意味を持っているという。扁額の字は明宗が自ら書いて下賜したものだ。

賜額書院となることによって、扁額だけでなく、土地や奴婢(使用人)などが下賜され、納税も軽減されるなどの恵沢が受けられるが、賜額書院となるということはそれ以上の重要な意味を持っている。それまで朝鮮王朝は、「勲旧派(フングパ)」と呼ばれる一派が中央の聖賢を取っていたが、その状況を、地方の両班が中核となる「士林派(サリムパ)」が覆すという大きな意味を持っている。この頃を転機として士林派は政権を担うようになっていく。書院の登場は、韓国の歴史に大きな意味を持っているといえる。

自由な配置の中にも配慮が表れる空間

 

韓国には代表的な5大書院がある。紹修書院のほか、陶山(トサン)書院、玉山(オクサン)書院、道東(トドン)書院、屏山(ピョンサン)」書院だが、紹修書院は書院としての形式が完成される前の段階のため、地形や建物の配置などが他の書院とは違うことが多いが、類似点も幾つか見ることができる。

書院には風水地理が適用されて、背山臨水の地形を利用することが多く、山の斜面に沿って川に臨むような形をとっている。紹修書院は平地に建てられてはいるものの、祭祀を行う建物の裏には小高い山があり、書院の南東方向には竹渓(チュッケ)という川が流れている。その反面、奥に祭祀の空間を置き、その次に講堂、そして儒学生たちの建物と並ぶ典型的な書院の構造とは異なり、体系化されていない配置となっている。それでも、書院の典型的な役割を持つ建物があるため、何のための建物であるかを知っておくと、より深く見えてくる。

紹修書院02

まず、書院の門となる四柱門(サジュムン)があるが、その右側には景濂亭(キョンリョムジョン)がある。柱だけで壁がない東屋で、竹渓を見下ろす形になっている。儒学生たちは景濂亭で川の流れを眺めながら、詩を詠んだり討論をしたりしていた。

景濂亭の対岸には敬字岩と呼ばれる岩がある。この岩には周世鵬が刻んだ「敬」の字があり、性理学を勉強する儒学生の指針となった。退渓・李滉は翠寒臺(ツィハンデ)と名づけ、「敬」の字の上に「白雲洞」と刻んで、ここで風流を楽しんだという。

 

門の左脇には省牲壇(ソンセンダン)という祭祀に使う供え物を検査する壇がある。

四柱門をくぐると正面にあるのが講堂の「明倫堂(ミョンリュンダン)」だ。正面4間、側面3間で、書院の中では最も大きい建物で、中には明宗が書いた「紹修書院」という懸板もかかっており、ここが書院の中心であることが分かる。ただし、本物の懸板は書院の隣の紹修博物館に保存されている。

明倫堂の裏にはソンビ(儒学を大成した人)が起居した「日新斎(イルシンジェ)」と「直方斎(チクパンジェ)」がある。この二つは一つの建物になっており、左右対称となっているのが興味深い。内側の2部屋は板の間で、両側のそれぞれ2部屋はオンドルとなっており、その前には「テンマル」と呼ばれる縁側がついている。書院には東斎と西斎という空間があるが、東斎にあたる日新斎には「日ごとに新しく」、西斎に当たる直方斎には「起きて心をきれいにする」という意味が込められている。

書院の右の方には「学求斎(ハッキュジェ)」と「至楽斎(チラクチェ)」がある。ソンビが勉強する建物だが、至楽斎は塀の向こうに竹渓が見下ろせる位置にあり、美しい景色を眺めながら勉強し、思索にふけったのではないだろうか。

紹修書院03

書院にはもう一つの重要な役割があるが、それが「祠」と呼ばれる聖賢を祀ることだ。紹修書院で最初に祀ったのは安珦で、明倫堂の左側にある「文成公廟(ムンソンコンミョ)」に祀られている。また、安珦のほかにも高麗末期の文臣である安輔(アンボ)と安軸(アンチュク)、そしてこの書院を建てた周世鵬を祀っている。文成公廟は他の建物とは違い、塀に囲まれている。特別な空間として区別されているわけだが、これは後の書院にも同じような形で踏襲されている。ただ、他の書院の祭祀のための空間が三門という三つの扉がある形式であるのに対し、ここでは一つだけになっている。

紹修書院04

文成公廟の隣には「蔵書閣(チャンソガク)」と「典祀廳(チョンサチョン)」がある。木の板で壁を作っている蔵書閣は書籍を保管する建物、典祀廳は祭祀の料理を準備するための建物で、どちらも書院の役割を果たすための重要な機能を持っている。

こうしてみていくと、一つひとつの建物が自由に配置されているようにも感じられる。しかし、その空間を感じてみると、そこには儒学を志すもの同士の先輩後輩間の配慮、現在を生きているものと先賢との間の配慮の表れとなっていることが分かる。

 

ソンビの生活を楽しみながら体験・ソンビ村

紹修書院から竹渓を渡るとソンビ村が続いている。ソンビ村は昔のソンビたちの生活の様子を見て体験できるテーマパークだ。ただの韓屋マウルと思ってしまっては困る。再現されたものではあるが、栄州一帯の由緒ある12軒の故宅を再現しており、それだけに意味も深い。それだけではなく、76件の家屋が広い敷地内に建っているため、朝鮮時代のソンビが住んでいた村にタイムスリップしたような気分が楽しめる。

ソンビ村はドラマの撮影場としてもおなじみの場所で、ドラマ「推奴(チュノ)」の撮影地として知られ、最近ではドラマ「チャン・ヨンシル」の撮影も行われた。運がよければ撮影の現場に出会えるかもしれないし、朝鮮時代の服装を身にまとった俳優たちの姿に当時の様子を感じることもできるだろう。

「チョジャッコリ」と呼ばれる朝鮮時代の市場を再現したコーナーでは、伝統料理などが味わえる。実際に参加できる餅つきや提灯行列、ユンノリやチェギチャギをはじめとする伝統遊戯などの体験もできる。伝統婚礼式なども行われることがあり、一緒に見学することもできる。伝統家屋での宿泊もできるため、ソンビたちの生活をたっぷり体験することができる。

ソンビ村の隣には紹修博物館があり、紹修書院をはじめとする栄州の文化財を展示している。明宗直筆の紹修書院の懸板や、古書、古文書、書物の印刷用の版、簡札など、貴重な展示物が見学できるだけでなく、儒教やソンビ、書院についても詳しく知ることができるため、文化についても深く知りたい人にはおススメだ。

書院の周囲は自然がいっぱいで、そのような自然と調和した家屋などを眺めながら散歩しても有意義な時間が過ごせるだろう。忙しい日常から離れる旅の時間、スケジュールを詰め込むよりは、ソンビの精神を学びながら自分を振り返る時間としてみるのはいかがだろうか。ソンビの故郷でかけがえのないものに出会えるかもしれない。

ソンビ村

 

Information

紹修書院までは、ソウルから高速バスを利用するのが便利だ。高速バスターミナル、東ソウルバスターミナルから栄州バス公用ターミナルまで約2時間半。ターミナルから出て道を渡り、「ヨングァン中学校」の停留所から27番バスに乗車、「紹修書院」停留所下車。栄州ターミナルからは約1時間。紹修書院とソンビ村、紹修博物館の入場券は3000ウォンで、すべての施設が見学できる。

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