仁川の江華島(カンファド)文化遺産踏査記

2017年02月08日

江華島(カンファド)の生き生きとした歴史を感じる

「家しか知らない子供は愚かな者だ」、「旅行に出ると、賢くなる」という西洋の噂のように、旅行は沢山の知恵と教訓を与えてくれる。遊び盛りの子供は全てのことを五感を通して学ぶため、旅行ほどレベルの高いレッスンはないだろう。そして、旅行は子供に自立心を育てると同時に世界と出会いを与えてくれる機会でもある。 屋根のない博物館、江華島こそ子供と一緒に楽しめる旅行地ではないだろうか。

悲しい歴史の傷跡が残っている草芝鎭(チョジジン)
狭い入口を入ると、仁川の穏やかで美しい海が一目で見渡せる草芝鎭は、見た目と違って辛未洋擾(しんみようじょう)、丙寅洋擾(へいいんようじょう)、雲揚号(うんようごう)事件など、外国との激戦地で悲しい歴史を持っているところである。芝鎭を見回ってみると強力な武器を装着している外国の艦隊があるが、粗末な槍や刀で戦うしかなかった兵士の苦しみが伝わってきた。小さな穴を通して、巨大な軍艦を見ながら震えていた我々の先祖が横に立っているような気がした。

城閣の隣には巨大な松の木と城壁に白いペンキで塗られているところが見えるが、これは戦争の当時、外国戦艦の艦砲による跡である。
城内には軍事博物館でよく見られる大砲がある。紅夷砲(こういほう)という大砲で、今の大砲に比べると、長さ2.5mしかならない大きさで、まるでおもちゃのようだった。しかし、朝鮮時代後期の一番大きい大砲だったと言われるので、当時の軍事力の劣悪さを如実に示している。
教科書で見ていた場面が目の前に現れる瞬間、子供たちは感嘆の声を上げずにはいられないだろう。
江華海峡を守っていた外城の要衝の地、徳津鎮(ドッジンジン)徳津鎮は草芝鎭と共に、漢陽(ハンヤン)に進入するためには、外国艦隊が通らなければならない場所で、江華海峡を守っていた軍事の要衝の地である。得に、高宗(ゴジョン)3年(1866年)、フランス極東艦隊がカトリック教会に対する迫害を口実に韓国を攻撃した丙寅洋擾と高宗8年、アメリカ(ロジャーズ)アジア艦隊が貿易通商を強要し、軍事的な威圧をかけた辛未洋擾事件が鮮明なところである。
江華海峡を守っていた要衝の地の中で最も強力な軍事力を保有していたところだと言われる。丙寅洋擾の当時、鼎足山城(チョンジョクサンソン)を占領していたフランス軍隊を梁憲洙(ヤン・ホンス)将軍と部隊が夜中にこの鎮を通って入り、フランス軍を退けたという。
辛未洋擾の際は、強力なアメリカ艦隊の激しい艦砲射撃に対し勇敢に戦ったが、草芝鎭に上陸したアメリカ海兵隊により占領された。当時、撮られた星条旗が差し込まれている徳津鎮の色あせた写真は見る人に悲しい気持ちにさせる。
徳津鎮に属している南障(ナンジャン)砲台は自然の地理を生かした半月型の要塞で、海に停泊した敵の艦隊には見えずに砲撃できる天然の要塞といえる。
德津墩臺は辛未洋擾の際、德浦(ドクポ)砲台と共に、アメリカ艦隊を相手に二日間激しく戦った激戦地である。遠く穏やかに見える海に韓国を侵略した外国艦隊に埋め尽くされたことを海が無情にも思えてくる。
德津墩臺(ドクジンドンデ)の前には外国との交流を反対し、開花期に外国船舶の出入りを許さないという強い意志を表す興宣(フンソン)大院君の斥和碑(せきわひ)が見えた。この碑には「海の門を閉め、守れ。他国の船は通るな。」ということが刻んでいるので、興宣大院君の外交政策を端的に見せている。
辛未洋擾の際、一番激しかった激戦地「広城堡(クァンソンボ)」
広城堡は1871年、アメリカ(ロジャーズ)アジア艦隊が通商を強要し、進入した辛未洋擾の当時、一番激しかった激戦地である。敵軍に比べあまりにも劣悪な武器で抗戦したが、負傷者何人かを除いて、全員が殉国したところでもある。
米軍の文献を見ると、降伏の勧誘にも関わらず、最後の一人まで死を選んだ先祖をみて「朝鮮の守備兵は怯えることなく、虎のように勇敢に戦いながら、彼らの陣地を死守して死んでいった。その戦闘が米軍の勝利であることは間違いない。しかし、誰も誇りに思わず、誰も記憶に残そうとしなかった。」と記録している。
雙忠碑閣(サンチュンビガク)には辛未洋擾の時、殉死した魚在淵(オ・ゼヨン)と魚載純(オ・ゼスン)を称えるため、その一族が建てた。毎年、戦争が繰り広げられた旧暦4月24日になると、魚家の兄弟の忠節を称える法事が行われるという。そして、雙忠碑閣から墩臺に行く道には辛未洋擾の時、殉死した無名の勇士の墓が設けられている。
劣悪な環境で数えられないほどの砲弾を全身に浴びながら、最後まで決死抗戦した先祖の犠牲があったからこそ、今の我々が存在しているのではないだろうか。
世界文化遺産の江華支石墓(コインドル)
コインドルは大きい自然石や加工した石を利用して造った構造物、「巨石文化」と呼ばれる先史遺跡の一つである。巨石文化は人間がどんな目的意識を持って、自然石、或は加工した石で構造物を築造し、崇拝の対象物や墓として利用した文化であり、一般的には先史時代の記念物や巨石墓に限られ通称している。普通、墓や記念物、祭祀の場所と推定されるこの巨石文化は形態や使い方は地域ごとに異なったが、おおむね、農業生活に基づく定着社会の段階で集中的に現れる共通点がある。
江華郡には160基余りのコインドルが存在する。この中で世界文化遺産に指定されたコインドルは合わせて70基もあるという。
江華富近里(ブグンリ)の支石墓は14基が群落を形成したところで、靑銅器時代の代表的な墓際の一つで史跡第137号に指定されたところである。
富近里のコインドル郡は探訪路として造成しており(所要時間約20~30分)、「江華コインドルの歌」も聞くことができるため、子供と一緒に散歩しながら、コインドルについて学習できるところである。
仁川の歴史は韓国初の歴史!摩尼山(マニサン)塹星壇(チャンソンダン)
摩尼山の頂上にある塹星壇は檀君(タングン)が祭壇を積んで、天神に祭礼を捧げたところだと伝われている。 韓国民族の始祖である檀君王倹が古朝鮮を建国した後、江華島の摩尼山に塹星壇を積んで、天神に祭礼を捧げたのである。 実際は檀君に祭祀を捧げるところで、高麗・朝鮮時代には国の祭祀が行われたところでもある。1955年、全国体育大会の聖火の採火をきっかけに復活し、開天大祭という名で、毎年、10月3日開天節に行われている。仁川の歴史は韓国の開国と共に始まった。
屋根のない博物館、江華の歴史を一ヶ所に、江華歴史博物館
前述した歴史遺跡地とそのストーリーを集大成した屋根のない江華歴史博物館!子供と一緒にできる江華歴史探訪の最後を飾るコースとしてお勧めする。
* 江華歴史博物館 Web site : http://www.ganghwa.go.kr/open_content/museum_history/
生き生きとした歴史があふれる江華、子供の新しい夢を探す準備ができたなら、一緒に行ってみよう!!
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