世界が感嘆した韓国的美学の精髄「水原華城」

2014年10月05日

水原華城1

世界が感嘆した韓国的美学の精髄

ユネスコ世界文化遺産「水原華城」

 旅行を他の言葉で表現するとすれば、それは「発見」だ。今まで知らなかった世界に足を踏み入れると、その地の歴史と情緒に遭遇し、その発見を通して感動というプレゼントまでもらえるのだから、旅行ほどに価値のあるテーマはない。舞台はソウルのすぐ南にある、水原だ。韓国に「燈盞の下が暗い(灯台下暗し)」ということわざがあるが、旅行の舞台である水原はその言葉にぴったりな場所だ。ソウルから地下鉄で約1時間、韓国の歴史と伝統を五感で味わう「発見」が待っている、バラエティーに富んだ韓国旅行の頂点に水原があると絶賛してもおかしくはない。
文/李相直記者
 
 高層ビルが立ち並ぶソウルの都心から電車に乗って水原に向かう。ソウルの中心地である鍾路からでも、関門であるソウル駅からでも、地下鉄1号線に乗って行けるため、面倒な旅行の準備も必要ない。目的地の水原駅までは約1時間。各駅停車の電車のドアが開くたびに変わる風景を楽しんでいるうちに、すでに1号線水原駅に到着している。
 水原はよく知られているように、ユネスコの世界文化遺産である「水原華城(スウォンファソン)」が位置する。水原に到着したら真っ先に訪ねたい所だ。
 目的地が水原華城であるだけに、その歴史を事前に知っておけば楽しみが倍増する。水原華城は、朝鮮王朝第22代正祖大王が、政権闘争に巻き込まれて王位に就くことができず、無念にも米びつの中で餓死した父・思悼世子の墓を水原に移す計画から出発する。
 正祖大王がどんな人だったのか知りたい人は、歴史ドラマ「イ・サン」で俳優イ・ソジンが演じた「イ・サン」という人物を思い浮かべればよい。父の無念の死の後に、朝鮮の22番目の王となり、国民を敬う人間主義に基づいて、学術、文化、芸術史において大きな業績を残し、歴代朝鮮の王の中でも最も高い人格を持った王として尊敬される人物が、ここ水原華城を建てた正祖大王だ。そのため、ドラマ「イ・サン」を楽しんだ人ならば、水原華城の歴史を少しは理解しやすいであろう。
 正祖が自分の父である思悼世子の墓を水原に移したのは、大きな計画を成し遂げるためだった。正祖は、自分の王権を強化するには、新しい政治空間を作る必要があると考えた。彼の理想を実現するためには、忠実な臣下、軍事力、そしてこれらをうまく運営することができる資金という3つの条件が必要だった。正祖は首都・漢陽(現在のソウル)は、この3つのすべてを取得するのは難しく、新たな都市を建設するのが最善であるという結論に至った。
 そのような目的を持った政治空間を、父である思悼世子の追悼と重ね、当時の水原府は大変理想的な場所だった。ソウルの南と接する交通の要所であり、商業活動のための都市である一方、思悼世子の眠る顯隆園が近くにあったためだ。
 正祖は自分の理想を実現させる水原華城の大工事を、当時30歳の実学者である茶山・丁若鏞に任せた。当初10年はかかると予想した工事は、驚くべき速度で行われた。1796年10月、工事開始からわずか34ヵ月で水原華城が完成したのは、丁若鏞が当代の東洋と西洋の技術書を参考にし、築城の際に挙重機などの新機材を考案して一つが数トンに及ぶ石などを運んで、すばやく基礎工事を進行したおかげだった。水原華城のように膨大な工事を2年半という短期間で終えることができたのも、丁若鏞のような有能な臣下を出身や学歴に関係なく登用した結果であるという点からも、正祖大王の人柄を垣間見ることができる。
 

世界文化遺産に指定当時東洋城の白眉、「水原華城」

 城の周りは5744メートル、面積は130ヘクタールで、東西南北には蒼龍門、華西門、八達門、長安門という4つの大きな門を造り、その間に5つの暗門、2つの水門で構成されている。東の地形は平地をなし、西は八達山にまたがる平山城の形で、軍事的防御機能と商業機能を共に持っており、単に巨大な威容を放つ城というだけではなく、合理的で実用的な構造で設計し、ユネスコの世界遺産に指定された当時、東洋城郭の最高峰であるという賛辞を受けた。
 つまりは、水原華城は正祖の孝心が築城の根本となり、新しい政治を実現するための政治的信念と、民のための新しい都市を作るという民本主義の結果だということができる。言い換えれば、朝鮮時代に施行された最初のニュータウンのランドマークというべきだろうか。
 このような歴史を持つ水原華城までは、水原駅からのバスが旅行者の足となる。水原駅の向かいのバス停留所に行き、華城の北門である長安門行きのバスに乗ればよいが、ここ長安門から水原華城の名所が次々に続いているので、水原歴史紀行の出発点と呼んでもよいほどだ。水原の象徴である長安門に行くバスは多いので、バスに乗り慣れていない外国人旅行者でも簡単に利用できる。下車のサインは「長安門(チャンアンムン)」というアナウンスだ。
 水原市民には長安公園という名で知られている華城の北門「長安門」は、水原華城の北の端に位置する。正面5間、側面2間の重層楼門で、水原城の北門の役割をするが、巨大な城門である虹霓門の上に2階建ての楼閣を乗せ、外側に丸い甕城を持つ変わった形をしており、朝鮮時代のソウルの4大門とは異なり、戦争時に防御の役割をするために、このような独特な形に仕上げたというのがガイドの説明だ。
 歴史的な試練もあった。1950年、韓国戦争で楼閣が焼失したが、1978年、門楼が元の姿に復元され、道路の真ん中にぽつんと離れて復元された門楼も、2007年6月には、既存の水原華城の長安門との接続部分の復元工事を通し、正祖大王が朝鮮時代に築城した高さ7.4メートルの城として、その威容を取り戻した。
 城の道が完成したおかげで、北門である長安門を通って華城行宮に向かう。朝鮮時代の美しい建築美に加え、あちこちに漢字が書かれた巨大な原色の旗が風にはためき、城を歩く旅行者はいつのまにか城を警備する朝鮮時代の軍士になったような錯覚にも陥る。
 しばらく歩いて到着した行宮は、正祖大王が、父・思悼世子の墓がある顯隆園を参拝する時に滞在した所である。
 王になる運命でありながら、王になることができないまま28歳の若さで無念の死を遂げた父・思悼世子を偲んだ正祖大王は、父・思悼世子の墓を水原に移して華城を造り、それと同時に行宮を建てた。行宮は、簡単にいうと、王が休暇や地方に出張をする際に一時的に生活し、政治をするまた別の宮廷で、今でいう政府機関の別館庁舎にあたる。
 華城行宮は朝鮮時代に建立された数々の行宮の中で断然最高だ。景福宮の副宮という別名があるだけに、外観も規模も漢陽都城の縮小版である。奉壽堂、長楽堂をはじめとする合計576間規模の巨大な韓屋が並んでいるが、単に派手な建物が建てたものではない。正祖大王は、1年に1度、思悼世子の墓を参拝するために訪れたのはもちろんのこと、思悼世子の妻であり、自分の母親である敬懿王后(恵慶宮洪氏)の還暦祝いや敬老祝いを漢陽の景福宮ではなく、ここ華城行宮で開くほど父・思悼世子に対する切ないまでの親孝行を行った所なのである。都城である漢陽に巨大な景福宮がありながら、なぜ水原にもう一つ宮廷である行宮を建てたのかという疑問も、正祖大王の家門の悲しい歴史を聞くと、このように自然に解けてしまう。
 華城行宮の歴史をより深く楽しみたい旅行者ならば、行宮の近くにある華城行宮広報館を訪ねるか、華城行宮の前から水原市内バス24番または46番のバスに乗れば、思悼世子の墓である隆陵と正祖王陵である健陵を見学することができるので、コースに入れるとよいだろう。
 それに加え、毎年6月から9月までは夜9時まで行宮の夜間開場もある。行宮のあちこちに照明器具が設置され、宮廷の風情を盛り上げているので、この時期に水原華城を訪ねる旅行者はぜひ憶えておきたい。
 ちなみに、どうせ水原華城を楽しむならば、華城の城郭の道を歩くのが最高だ。全長約5.7キロほどで、普通の大人であれば半日コースでゆっくりと探索できる。北門である長安門から八達山、西将台を経て、南門の八達門を通って、東将台、練武台を経て長安門に帰ってくる道が、華城の城郭に沿って歩くことができ、おすすめだ。水原都心の歴史紀行に加え、城郭トレッキングまで楽しむことができ、一石二鳥だ。
 

水原華城2
(左)「武芸24技」のデモンストレーション。 (右)水原華城の城郭の道。ツアーコースとしても人気だ。
 

豊かな文化体験、「水原華城」の魅力を加える

 ユネスコ世界文化遺産である水原華城の楽しみは、歩くだけでは終わらない。巨大な華城行宮のあちこちで、朝鮮時代の水原華城の感性を伝える体験が目白押しで、五感で楽しめる。
 最大の楽しみは、「武芸24技」のデモンストレーションだ。武芸24技は正祖大王の命を受けた朝鮮最高の剣客であり武芸家である武士・白東脩が、朝鮮伝統の武術をもとに、中国大陸と日本の優れた武芸を集めてつくった武芸書「武芸図譜通志」に収録された武芸で、正祖大王当時の王宮最精鋭部隊が備えていた24種類の実戦武芸だ。
 この武芸が華城行宮の新風楼で毎週火~日曜日、午前11時と15時に、豪快なデモンストレーションが繰り広げられる。朝鮮時代の王宮武士が当時の鎧や衣装をまとい、実際の剣や弓を使って、一糸乱れぬ緊張感あふれる武術を披露し、歴史ドラマに出てくるような戦闘シーンを目の前で楽しめる。
 当時の兵士が武芸に磨きをかけ、訓練した水原華城練武台を訪ねると、朝鮮時代固有の国弓が体験できる。午前9時30分から30分ごとに体験が行われ、朝鮮時代から伝わる伝統的な弓を握るだけでもその価値がある貴重な体験だ。体験料は1回(矢10発)2千ウォン。
 家族と一緒に、より気軽に水原華城を回りたい旅行者ならば、水原華城の音声ガイドの説明を聞きながら華城の主要観光地を巡る観光列車「華城列車」が便利だ。列車の前部は正祖大王の権威を象徴する龍の頭が飾られ、客車も正祖大王が乗っていた輿を形象化しており、正祖大王になりきって水原華城のあちこちを探索できる。
 運行は、雪と雨の日を除く10時から17時50分まで年中無休で、八達山(城神祠)‐華西門‐長安公園‐長安門 – 華虹門‐練武台の3.2キロを走る。所要時間は片道30分で、終点と起点である八達山と練武台で搭乗すればよい。料金は大人1500ウォン。
 

Information

水原まではソウル地下鉄1号線を利用し、水原駅で下車。所要時間は、ソウル駅から約1時間。水原華城の観光ポイントである長安門、華城行宮、八達門などでは、水原駅を起点に多数のバス路線が運行中。観覧料は水原華城が大人1000ウォン、華城行宮は1500ウォンで、水原華城と華城行宮、水原華城博物館、水原博物館を一緒に利用することができる統合観覧券(3500ウォン)も発売中だ。 | https://tour.suwon.go.kr
 
 

水原華城の魅力満載! 

「第51回水原華城文化祭」10月8日に開幕

 

華城文化祭

 水原華城を楽しむなら秋ほど魅力的な季節はない。他でもない、水原華城を舞台に、さまざまな伝統行事や文化イベントが行われる水原市最大の祭り「水原華城文化祭」が開催されるからである。
 水原華城文化祭は、ユネスコが指定した世界文化遺産である水原華城を正しく保存して後世に継承し、正祖大王の孝心と改革思想の産物である華城築城の意味を称えようと、水原市が毎年10月に開催する国内最大の文化観光祭り。今年は、10月8日から10月12日までの5日間、華城行宮広場、水原川など、水原華城と華城市一帯で、韓国的な見所いっぱいの内容で盛大に繰り広げられる予定だ。
 韓国的感性の盛り込まれた伝統プログラムが断然白眉だ。正祖大王の乙卯年(1795年)、華城園行を再現する「正祖大王陵行次」をはじめ、「惠慶宮洪氏進饌宴」など、さまざまな伝統行事を再現する。
 ハイライトは、伝統的なパレードである正祖大王陵行次だ。陵行次は正祖が悲惨な死を迎えた亡き父の思悼世子の墓を1789年に水原に移し、父の墓を訪れるために行った行幸で、その中でも最も規模が大きかった1795年2月に行われた陵行次を記録した「園幸乙卯整理儀軌」をもとに、1996年から毎年水原華城文化祭のメインイベントとして再現されている。
 女官をはじめ、銃と槍で護衛する武士たちと主人公の正祖大王が多くの臣下を率いる陵行次が2千人の市民によって再現され、楽しい農楽のリズムに加え、華やかな民族衣装で行進する姿が水原華城を背景に行われ、見所としては最高だ。
 特筆すべきは正祖大王の衣装だ。王宮で王が着る赤い袞龍袍ではなく、将帥の服を着て、馬や輿に乗らずに歩いて一緒に行進するが、これは実際に正祖大王が父の墓を自分の足で訪ねたいという孝心によるものと歴史書は伝えている。ドラマ「イ・サン」で見せたこの上ない孝心と賢王としての姿を水原華城文化祭の正祖大王陵行幸パレードでも出会うことができるわけだ。
 陵行次パレードは10月9日(木)午後2時から水原総合運動場を出発点に、長安門、華城行宮前、八達門、中東交差点に至るコースで、観覧客は誰でも自由に観覧できる。
 正祖大王の生母である惠慶宮洪氏の60回目の誕生日のために、正祖が自ら用意した宴である「惠慶宮洪氏進饌宴」(10月12日)も見どころだ。1795年、華城行宮奉壽堂で開かれた宮中の誕生日の宴の様子を忠実に再現したイベントで、気品のある朝鮮時代の宮中音楽と宮廷舞踊を目の前で見られる貴重な体験が待っている。
 この他にも、朝鮮時代の庶民が履いていた草履を履いて水原華城を歩く「草履を履いて華城歩き」体験をはじめ、美しい光で穏やかに水原の夜空を彩る「ランタンフェスティバル」も開催される。また、朝鮮時代当時の軍士たちの夜間訓練を最新のレーザーショーなどの特殊効果を添えて演出する武芸総合芸術公演である「総体公演」も10月10日と11日の両日、練武台広場で開かれ、馬上武芸団と武芸24技などの豪快な朝鮮武芸まで楽しめる。
 
期間:2014年10月8日〜2014年10月12日
場所:水原華城行宮広場、水原華城一帯
主なイベント:行宮広場の開幕宴、正祖大王陵行次、練武台広場(蒼龍門)総体公演、惠慶宮洪氏進饌宴、草履を履いて華城歩き、水原川公演、ランタンフェスティバルほか
ホームページhttp://shcf.kr
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